今年もこの日が巡ってきた。
以前にも書いたが、僕の親族は幼少時、
住民として、花岡事件の始まりから終わりまでを目撃している。
始まりとは、つまり昭和一九~二〇年にかけて、
986人の中国人「労務者」が花岡に連行されてきたとき、
そして終わりとは、つまり、昭和20年7月初旬、
蜂起した「労務者」たちが共楽館前の広場に集められ針金で縛られ、
投石や木の棒で殴り殺されるなどしたとき、である。
「労務者」たちが置かれていた状況はまさに奴隷そのものであり、
アウシュヴィッツの囚人たちに比肩するくらいのものであった。
その核心を担ったのは当時の鹿島組(現・鹿島建設)と藤田組、
そして憲兵などの役人たちであったが、
一部の住民たちも、事件に深くかかわっていた。
そのことは、石飛氏が指摘するように、占領治下では遂に明らかにならなかった。
僕はここに、アイヒマン的な「悪の凡庸さ」を見る。
そして、今現在もなお、この「悪」を断罪しようという主体性は
わが同胞日本人の中には希薄なのである。