三島由紀夫の『班女』読了。
はやくから謡曲に親しんでいた著者が、能楽の自由な空間と時間の処理方法に着目し、その露わな形而上学的主題を現代的な状況の中に再現したのが本書である。リアリズムを信条としてきた近代劇に対して、古典文学の持つ永遠のテーマを“近代能"という形で作品化した8編の大胆な試みは、ギリシャ古典劇にも通じるその普遍性のために、海外でも上演され好評を博した。
一言で言えば「待つ女」の話である。
読中は特に思わなかったが、読後になって、
F.トリュフォーの映画『アデルの恋の物語』を連想した。
『レ・ミゼラブル』で知られるフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの次女アデル・ユーゴーの真実の物語を映画化。
主演は当時19歳だったイゼベル・アジャーニ。アデルの破滅的な情念を鬼気迫る圧巻の演技で体現する。
イザベル・アジャーニの演技は本作で史上最年少でアカデミー主演女優賞にノミネート、
全米批評家協会賞主演女優賞受賞、NY批評家協会賞主演女優賞を受賞するなど高い評価を受けた。
愛の機微を巧みに描き続けてきたトリュフォーは本作の企画を6年間温め続けてきたが、
アジャーニを見た瞬間に脚本をすぐに書き上げたという。
アジャーニとのコラボレーションだからこそ完成できた
フランソワ・トリュフォーによる恋愛映画の金字塔。
「近代能」というものがあるのかどうか、僕は知らない。
解説でドナルド・キーンさんがそれについて書いているので、
多分あるのだろう。
いずれにせよ本作は、古典調をとった三島の観念的な部分が
ぎゅっと凝縮されているように思った。
リアリズムでありつつ観念的、というのは、
三島作品の一種の特徴だと思う。