J=P.サルトル『エロストラート』読了。

 

長編小説『嘔吐』へとつながる肉体厭悪の作品『水いらず』など、
実存主義哲学の旗手・サルトルの短編5作。

性の問題をはなはだ不気味な粘液的なものとして描いて、実存主義文学の出発点に位する表題作、スペイン内乱を舞台に実存哲学のいわゆる限界状況を捉えた『壁』、実存を真正面から眺めようとしない人々の悲喜劇をテーマにした『部屋』、犯罪による人間的条件の拒否を扱った『エロストラート』、無限の可能性を秘めて生れた人間の宿命を描いた『一指導者の幼年時代』を収録。

本書収録『一指導者の幼年時代』から着想を得て、ミステリー映画の傑作「シークレットオブモンスター」が生まれた。第72回ヴェネチア国際映画祭2冠!オリゾンティ部門監督賞、初長編作品賞を受賞。
2015年、イギリス・フランス・ハンガリー制作。監督:ブラディ・コーベット、出演:ベレニス・ベジョ、リアム・カニンガム

【目次】
水いらず(Intimite)
壁(Le mur)
部屋(La chambre)
エロストラート(Erostrate)
一指導者の幼年時代(L'enfance d'un chef)
訳者あとがき

本書収録『水いらず』より
リュリュが真っ裸で寝るのは、シーツに体をすりつけるのが好きなのと、洗濯賃が高くつくからだった。真っ裸でベッドへはいるやつがあるか。そんなことするもんじゃない。きたないと、はじめのうちアンリーは抗議したが、しまいには女房を見ならうようになってしまった。けれど彼の場合それは投げやりからだった。人前では気どって棒みたいに堅くなるくせに(彼はスイス人、とりわけジュネーヴの人に感心していた。堂々としているというのだが、それはスイス人がしゃちこばっているからだった)、こまかいことにはものぐさだった。……

サルトル Sartre, Jean-Paul(1905-1980)
パリに生れる。海軍技術将校だった父を亡くし、母方の祖父のもとで育つ。高等師範学校で哲学を学び、生涯の伴侶となるボーヴォワールと出会う。小説『嘔吐』(1938)、哲学論文『存在と無』(1943)で注目され、戦後「レ・タン・モデルヌ(現代)」誌を創刊。実存主義哲学の旗手として文筆活動を行い、知識人の政治参加を説いた。1964年、ノーベル文学賞に指名されるが辞退。

伊吹武彦(1901-1982)
大阪生れ。東大仏文科卒。京大文学部教授を長く務めた。『ボヴァリー夫人』など訳書多数。

白井浩司(1917-2004)
東京生れ。慶大仏文科卒。慶大教授、のち名誉教授。サルトルを日本にいち早く紹介。

窪田啓作(1920-2011)
神奈川県生れ。東大法学部卒。詩人、作家。元欧州東京銀行頭取。仏文学の訳書多数。

中村真一郎(1918-1997)
東京生まれ。東京大学仏文科卒。1942年、福永武彦らと新しい詩運動「マチネ・ポエティック」を結成。1947年『死の影の下に』で戦後文学の一翼を担う。[春]に始まる四部作『四季』『夏』(谷崎潤一郎賞)『秋』『冬』(日本文学大賞)『頼山陽とその時代』(芸術選奨文部大臣賞)『蠣崎波響の生涯』(読売文学賞、日本芸術院賞)『私のフランス』など多数の著書と訳詩書がある。

 

無差別殺人を計画している男の話である。

無差別殺人、といえば、

池田小事件の宅間守や秋葉原事件の加藤智大を連想するが、

まさにそういった感じの男である。

そういう意味では極めて現代的とも言える作品だろう。

 

注目すべきは、このタイトルである。

「エロストラート」すなわちヘロストラトスとは、

古代ギリシアで有名になるために神殿に放火した羊飼いの名だからである。

ヘロストラトス - Wikipedia

英語では有名になるためなら何でもすることを「Herostratic fame」と呼ぶという。

そうした心性は何も無差別殺人に限らず、現代の至る所、

例えば炎上系/暴露系ユーチューバーや愉快犯などにも見られるものだろう。

問題はこうした心性がいまや政治や社会全般の領域にも波及していることである。

 

過日の東京衆院補選では選挙妨害の容疑で「つばさの党」の幹部たちが逮捕された。

また、彼らに影響を与えたNHK党の立花孝志やれいわ新選組の山本太郎、

あるいはひろゆき、成田悠輔といった面々にもそういった心性は仄見える。

要するにそれはポピュリスト的心性と極めて親和性を持っているのである。

 

彼らに共通しているのは、群衆を軽蔑しつつ、群衆と同化することである。

彼らは群衆を扇動し、その暴力でもって物事を動かそうとする。

これは極めて危険なことである。

本作の主人公は単純な無差別殺人を計画しているが、

政治やメディアの世界に進出したポピュリストたちは

言論の自由の圧殺やジェノサイドをも簡単に引き起こし得る。

「つばさの党」の件はその先例とも言えるだろう。

彼らもまた、本作の主人公同様、犯行の末には群衆の中に消え、

目に見えない存在として存在し続けているのである。

エロストラートは今やこの日本社会にも満ち溢れている。

 

【補筆】ところでこうしたエロストラート的な主人公の志向からは、

仏蘭西の社会学者J.ボードリヤールが指摘していたようなことも連想する。

ボードリヤールは、消費社会というものを商品=記号の交換として捉え、

商品(「労働力」もまた商品である)を持たざる者は

象徴的記号としての死を社会との間で贈与することで交換が成り立つ(象徴交換)、

というようなことを言っていたと聞く。

 

これまであまり知られていなかったボードリヤールの生い立ちや思想形成、さらに主要著書の本質的な読解をとおして、高度消費社会・高度情報化社会である現代を見通す手がかりを与える。

 

実際ボードリヤールは9・11以降のテロ社会を

この「象徴交換」というタームを切り口にして分析して見せていたという。

 

ちなみに心理学ではこういった自身の死を目的にした無差別殺人は

「拡大自殺」と呼ばれ、自殺問題の一つとして取り扱われることが多い。

貧困や孤独といった社会的な問題がその背後にあることが非常に多いのだ。

そうした意味でもエロストラート的な在り方は

今の日本でも喫緊の問題となっていると言えるだろう。