C.N.アディーチェの短編小説『なにかが首のまわりに』読了。

 

異なる文化に育った男女の心の揺れを瑞々しく描く表題作のほか、文化、歴史、性差のギャップを絶妙な筆致で捉えた魅力の物語集。

 

人種、国籍、信仰といったものへのステレオタイプな理解を、

アディーチェの小説はいつも軽やかに裏切って見せる。

そこには欧米圏のリベラルな層が無意識に持っている偏見や押し付け、

時に文化相対主義的で民族主義・人種主義的なお仕着せも含まれる。

欧米文化圏の僕らはよく、開明的な人でさえ、

こうしたステレオタイプに基づくカテゴリー分けで他者を見ようとする。

常に差別され抑圧されている黒人/障害者/女性、敬虔なイスラーム信徒、

恒に抑圧的で強者の側にゐる白人/健常者/男性、ヨーロッパの無神論者。

こういったものは最早すでにステレオタイプな理解であると言える。

そこでは往々にして、入れ子構造的な差別は見落とされがちになる。

こうした差別の入れ子構造に僕が意識し始めたきっかけは、

高校の頃に見た映画『カラーパープル』(原作:A.ウォーカー)だった。

 

1909年。南部ジョージアの小さな町で、まだ少女のセリーが二人の子供を出産する。その後、ミスターと呼ばれる横暴な男のもとに嫁いだセリーには、召使い並みの扱いを受ける辛い日々が待っていた。心の支えだった妹のネッティも消息を断ち、セリーの苦悩は深まるばかり。そんなある日、ブルース歌手のジャグが訪れ、セリーが彼女を世話することに…。

そこでは20世紀初頭、

抑圧された米国黒人社会の中でさらに抑圧された黒人女性たちの姿が描かれていた。

差別というのは往々にしてこのような入れ子構造を持つものである。

 

なるほど、アフリカ黒人社会の伝統や文化を尊重し護っていくことは必要だろう。

だからといって、僕たち欧米文化圏の人間が、

個々のアフリカの黒人たちに対してそうしたお仕着せを宛がい、

渠等の自由で豊かな暮らしを求める権利、

厳格な信仰や伝統的(因習的)社会から逃れる権利を奪ってはならないのだ。

 

アディーチェの小説も、そうしたことを具体的に感じさせてくれる。