A.ナフィーシーのノンフィクション『テヘランでロリータを読む』読了。

 

本書は、イラン出身の女性英文学者による、イスラーム革命後の激動のイランで暮らした18年間の文学的回想録である。著者は、13歳のときから欧米で教育を受け、帰国後テヘランの大学で英文学を教えていたが、抑圧的な大学当局に嫌気がさして辞職し、みずから選んだ優秀な女子学生七人とともに、ひそかに自宅で西洋文学を読む研究会をはじめる。とりあげた小説は主としてナボコフ、フロベール、ジェイムズ、オースティン、ベロウなど、イランでは禁じられた西洋文学の数々だった。革命後のイランは、生活の隅々まで当局の監視の目が光る一種の全体主義社会となり、とりわけ女性は自由を奪われ、厳しい道徳や規則を強制される恐怖の毎日だった。秘密の読書会は、圧政の下に生きる女たちにとって、ささやかながら、かけがえのない自由の場となっていた。
そしてこうした苛酷な状況を生きぬくうえで、著者の支えになったのは、何よりも文学であり、学生たちとの親密な交流であった。それは、女として、知識人として生きるとはどういうことかという問題意識にみちた、血の通った読書会での営みであった。
著者にとって、文学とは、現実を超えたもうひとつの世界であり、現実の軛への抵抗であり、精神の自由をあたえるものにほかならない。読者は、苛酷な状況の中で文学が人を支える力に、禁じられているからこそ逆説的に輝きを放つ文学の力に、心を打たれるはずである。
本書は、全米で150万部を記録する大ベストセラーとなっている。

 

昨日はイランのライシ大統領がヘリ事故により亡くなったというニュースが

ネット上には飛び交っていた。

中には陰謀ではないかという話までしている人までいたが、

僕は単なる事故だろうと思う。

とはいえ、これがイランにおける反体制運動、

とりわけ、一昨年のスカーフ女性死亡事件に端を発する一連の反体制運動を

新たな局面に向かわせることは確かだろう。

一連の運動ではすでに多数の女性も当局の弾圧により犠牲になっている。

 

 

 

 

こうした体制は1979年

つまり今から45年前のイラン・イスラーム共和国の成立時から本質的に

全く変わっていないことは本書からもわかる。

「・・・ひとりの女の子がいて――彼女の罪は、驚くほどの美人だってことだけでした。やつらは不道徳の罪をでっちあげて彼女を連行して、ひと月以上監禁して、くりかえしレイプしました。看守から看守にまわしたんです。噂はすぐ広まりました。その女の子は政治活動にさえ関わっていなかったからです。政治犯の仲間ではなかったんです。処女はみんな看守と結婚させられて、そのあとその看守に処刑されました。処女のまま殺されると天国に行くと考えられているからです。転向についての噂もありますね。だいたいは、イスラームに『改宗』した人たちが、体制への新たな忠誠のしるしとして、とどめの一発を同志の頭に撃ちこむように強制されました。…」

これは教え子の一人ナスリーンが監獄での体験を語る部分である。

こうした本質的に全体主義的な体制が45年間も続いていることは

率直に驚きである。

 

エピローグの一つ前、「第四部 オースティン」の章の結末部分で、

著者はイラン出国の前日にノートに書きつけた言葉を引用する。

「権利章典にもう一条、想像力を自由に使う権利が加えられていたらと時々空想してみる。真のデモクラシーは、想像の自由なしには、また想像力から生まれた作品をいっさいの制限なしに利用できる権利なしにはありえないと思うようになった。私的な世界や夢、考え、欲望を公然と表明できる可能性、公の世界と私的な世界の対話が絶えず自由にできる可能性がなくてはならない。そうでなければどうやって、自分が生きて、感じ、何かを求め、憎み、恐れてきたことが分るだろう」

根拠のない、いわゆるイスラモフォビアは論外としても、

イスラーム批判の中にはこうした真っ当な(国際法に基づいた)批判もあることは

確かであり、日本も含めた欧米圏の識者は、

批評家S.ソンタグがそうしたように、きちんと耳を傾ける必要があるのではないか。

「急進的イスラームによる女性への迫害に自ら公然と反抗し、また他の人々の抵抗にも力を貸した経緯を物語るアーザル・ナフィーシーの報告に、私は心を奪われ、感動した。彼女の回想録には神権政治によるすさまじい被害と、他者への思いやり、そして自由の試練に関する重要な、かつ申し分なく複雑な思索がふくまれており――同時に優れた文学との出会い、すばらしい教師との出会いがもたらす喜びと意識の深まりが感動的に語られている」(訳者による解説より)