M.リンゼイ=ホッグ監督の『ザ・ビートルズ:Let It Be』を観た。
ザ・ビートルズ: Let It Be | Disney+(ディズニープラス) (disneyplus.com)
マイケル・リンゼイ=ホッグ監督が1970年に製作した映画「ビートルズ/レット・イット・ビー」が50余年の時を経て、再び公開される。1970年5月、ビートルズ解散の渦中に公開された「レット・イット・ビー」は、今やビートルズの歴史を語るうえで欠かせない作品という正当な評価を得ている。数々のエミー賞に輝いたピーター・ジャクソン監督のドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ:Get Back」で明らかにされた事実をもとに、かつて暗いレンズを通して撮影された「レット・イット・ビー」の映像が修復され、再び脚光を浴びることになったのだ。2021年にディズニープラスで公開された「ザ・ビートルズ:Get Back」は、ビートルズの4人の友情を確かに伝え、音楽史における極めて重要な瞬間を捉えている。
薬物でハイになってるポールの暴君ぶり(笑)と他のメンバーとの対比、
特にマリファナでロウアーな気分になってるジョージの痛々しい目つきが胸を抉る。
「ヒューマニズム」という語の語源はラテン語の「フマニタス」、
すなわち教養の意味を持つと、
仲正昌樹がP.スローターダイクを引用しつつ書いていたが、
そういう事で言えば、
現代ではビートルズがアップルレコードの屋上で『ゲット・バック』を
二度演奏したということそのものが最早一つの「教養」と言えるだろう。
グローバル化の進展につれて「自己決定」が求められる時代。その背景には、人間は「自由な主体」であるという考え方がある。しかし「自由な主体」同士の合意によって社会がつくられるという西欧近代の考えは、ほころび始めてきている。「自由な主体」という人間観は、どう形成されたのか? 近代社会の前提を問い直す。
そして「教養」というものが人間と動物を分かつものだとしたら、
それは習慣からの逸脱、
崩壊寸前の白色矮星が超新星となって爆発する時のような、
激しい内部衝動の表れ、と言う事ができるはずだ
(でも動物にもそういうものはあるのでは?)。
教条的にスローガンや哲学書などを振り回すことは、
「教養」とは寧ろ正反対のものだろう。
つまりドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ:レット・イット・ビー』は
現代の教養映画なのだ。