朝日新聞のこの記事を読んで思ったことを書きたい。

 

 

近代競馬の起源は16~7世紀の英国と言われている。

 

イギリス競馬の概要:イギリス競馬 各国の競馬 海外競馬発売 JRA

 

当時は貴族の間での娯楽であり、賭博の対象でもあった。

英国はプロテスタントの国なので屡々賭博禁止令が出たらしいが、

それでも貴族たちはやめようとしなかった。

同時代のB.パスカルも賭博に熱中していたことは知られているが、

賭博は近世ヨーロッパのトレンドであったようだ。

 

そんな中で競馬のレース(race)は

やがて馬そのものの品種を意味するようにもなり、

これが後に社会進化論とつながって「racism」の語源ともなった、

ということを、昔、高橋源一郎の本で読んだことがある。

つまり現代で言う人種差別は

欧米の近世史の展開と軌を一にしているのだ。

 

元来は馬や犬、猫などの愛玩動物を対象にしていた「race」という言葉は、

20世紀に入り人間そのものを対象としていく。

ナチス政権が掲げた「生きるに値しない命」という言葉はその象徴だろう。

 

この言葉はまず、ドイツ語圏(特にオーストリア)において、

自閉症児を対象として使われた。

 

「発達障害に関心のある人には、ぜひ手に取って頂きたい一冊」――岩波明氏(昭和大学附属烏山病院院長、『発達障害』著者)推薦!/ロンドンブックフェア(2018年)で話題沸騰! 自閉症スペクトラムの概念を拡大したアスペルガー医師の裏の顔を、史料の掘り起こしで白日の下に! 待望の邦訳。

当時は左右両翼に優生学的思考が広まっており、

特に左派が政権をとったウィーン市では

この優生学を基に自閉症児・知的障害児の療育を行おうとしていた。

 

赤いウィーン - Wikipedia

 

H.アスペルガーもそうした系譜に連なる人物ではあったが、

思想的には彼は当時のウィーンの医師たちとは真逆であり、

ナチスの台頭とともにその流れに合流していく。

 

そして「生きるに値しない命」という言葉は

知的障害・精神障害者から異人種(非アーリア系人種)や犯罪者、

今でいうホームレス、性的少数者、共産主義者へと適用が拡大していく。

ホロコーストである。

 

そこでは望ましくない人々、好ましくない人々を

いわば「動物」と同一視する傾向があった。

同時代のソ連のグラグ、ちょっと後の中国の労働改造所も、

その点では同じであった。

 

いったいヒトとそれ以外の動物の線引きはどこでなし得るのか、

またそもそも線引きすべきではないのか、

ロシアがウクライナを、イスラエルがガザを侵略している現在、

とても現代的で重要な主題であると思う。

 

ちなみにM.フーコーが引用し有名になった「パノプティコン」の発案者

J.ベンサムは、強制収容と強制労働を、

主体化/内面化のために必要な一体両輪のものとして考えていたという

(小松佳代子「J.ベンサム『パノプティコン』再考」参照)。

その意味で「近代」はそのとば口からにしてすでに、

ヒトを動物として扱うことを決めていたのかもしれない。