手塚治虫の『奇子』読了。
呪われた出生を背負い、運命にもてあそばれる奇子。地方旧家、天外家の人々を核に、激動の戦後史を背景に、哀しくもたくましい奇子の運命を描いた感動巨編。
先日、NHKの下山事件に関するドキュメンタリードラマを見たが、
あれを見てからこちらを見ると、
手塚が下山事件についてかなり追っていたことが分かる。
特に事件から10年ほどたった頃の1959~60年前後に出た物は
ほとんど見ていたのではないだろうか。
なぜなら、下山事件をモチーフとし、
この作品の核心として描かれる「淀山事件」の推移が、
NHKの描いた下山事件の真相と近似していたからだ
(ちなみに『奇子』の初出は1972年)。
『奇子』は手塚が描き切った日本の戦後史、と言えるだろう。
下山事件のみならず広島抗争を始めとした暴力団同士の度重なる衝突、
そして何より戦後しばらくまで残っていた「ムラ」社会を
きっちり描いているからだ。
そうした中で、「奇子」とは、ではいったい何者だったのか?
僕は「奇子」は「戦後民主主義」の表象だったのではないかと思う。
「ムラ」を単位としながら「ムラ」に居着けず東京へ出て、
「ムラ」の解体と共に忽然と消える「奇子」はまさに
「戦後民主主義」と言われたものの正体ではなかったか。
「民主主義」を詠いながらも実態は地縁血縁で構成され、
中央保守政党の金庫のようなものだった「戦後民主主義」。
それはそのまま約半世紀前のロッキード事件へとつながり、
またその残滓がリクルート事件や
今次岸田政権下で露見した裏金問題へとつながっていることを想えば、
手塚の卓見は改めて言うべくもないだろう。
鶴見俊輔は『言葉のお守り的使用法について』を書いたが、
皮肉なことに、「戦後民主主義」という言葉自体が「お守り」になってしまった。
この言葉の意味をどう変えていくかは、
今の僕たち世代にかかっているのではないだろうか。

