1994年から13年にわたって撮り続けられた

ドキュメンタリー映画‷ひめゆり″が

縁あって私の手元に届いた。

ひめゆり学徒隊の生存者が戦争体験を証言するという

途方もなく残酷な“現実”をつなぎ合わせた作品だ。

 

去る8月15日、私は沖縄でコンサートを行った。

それはそれは想像以上に重く眩しいものだった。

コンサートの前にひめゆりの塔を訪れていた私は

ステージの上からひめゆりについて少し話をした。

その時に吹いた風を私はよく覚えている。

絹の花柄の1ピースにたくさんの風が集まって

巡るように繰り返し廻り、舞い上がるように帰っていった。

あれはひめゆりの風だったと私は想う。

拙い言葉で、伝えきれない想いを伝えようとする阿呆な私に

そっと力をくれた、あれはひめゆりの風だったと私は想う。

 

映画の最後は"別れの曲"で締めくくられる。

ひめゆり学徒隊が戦場に駆り出されたのが卒業式の2日前。

音楽教師たちによって贈られた歌われることのなかった歌。

そういえばひめゆりの塔へ行った時

平和祈念館で流れていたのもこの曲だったっけ。

私は一緒に口ずさむこともできなかったんだ。

こんな私まだ歌える訳がない。

私は何も知らなすぎる。

この歌を一番歌いたかった人が

まだ歌えてないっていうのに

私なんかに歌える訳がない。

 

沖縄中のあちらこちらに何千とも何万トン以上ともいう

不発弾がまだ埋まっている。

ガマの跡には迎えを待つ人骨がまだ散乱している。

まだ全てを黙したままの人がいる。

まだ取り返せないものがある。

それでも飽き足らずに

上陸しちゃったPAC3(馬鹿)もいる。

 

いつかまたひめゆりの風が吹いたら

私は歌をうたおうと想った。

もっと耳を澄ませて

もっと心を傾けて

やるべきことをひとつずつ

いつか辿り着けるように。

 

"忘れたいこと"を話してくれてありがとう。

"忘れちゃいけないこと"を話してくれてありがとう。

 

’06夏、映画の完成を待たずに

3人の証言者が亡くなっている。

ひとつひとつ私たちは失くしていく。

すべてを失くす前に叶えたい。

私の歌をうたいたいと願うよ。

おばぁたち、待っててね、

なんにも分かっちゃいない私は

せめておばあたちが好きだった歌をうたおう。

鮮やかに見えるようだ。

壕の中の笑い声。

スカートの裾に、あの風が吹いたらまたすぐ行くからね。

燦々と陽の降り注ぐあの場所で待っててね。

今、祈りの溢れるあの場所で生きていて。

必ず  歌を届けるから。

あなたが笑ってくれる歌を

届けるからね。

 

ありがとうね。

おばぁたち、ありがとう。

ごめんなさい。

ありがとうございます。

 

 

「ひめゆり」長編ドキュメンタリー映画 HP (himeyuri.info)