大江健三郎の講演集『あいまいな日本の私』を読んだ。

 

「私は渡辺一夫のユマニスムの弟子として,小説家である自分の仕事が,言葉によって表現する者と,その受容者とを,個人の,また時代の痛苦からともに恢復させ,それぞれの魂の傷を癒すものとなることをねがっています.」――一九九四年ノーベル文学賞受賞記念講演ほか,全九篇の講演に語られた,深く暖かい思索の原点と現在.

 

表題のノーベル賞受賞講演は以前から大概を知っていたので、

特に大きな発見というものはなかったが、

面白かったのは『新しい光の音楽と深まりについて』と

『「家族のきずな」の両義性』、『井伏さんの祈りとリアリズム』だろう。

いぜれも大江の芸術観、家族観がよく示されているもので、

生前の大江が殊に政治的な言説によく注目を集めたが故に、

こうした考えを表明した文章に接することは新鮮である。

大江健三郎という小説家は、政治的側面からではなく、

その芸術的達成の側面からももっと評価されるべきだと思う。

 

ところで、思えば20年ほど前、

敬慕していた祖父の死という個人的な体験と、

2001年9・11テロに発しイラク戦争へと突入する世相の中で

打ちひしがれていた僕の心に、

「危機の時には注意深く観察せよ」

という一つの指針を示してくれていたのが外ならぬ大江だった。

注意深く、感情的なものを上手くコントロールして過ごすこと。

それこそまさにカタストロフィに際して必要とされるエチカ(生態の倫理)だった。

本書でもそれを示している部分がある。

…(ニーチェに対して)ブルクハルトは、…我々は忘れちゃいけない、歴史を記憶していくことが重要なんだ、それが人間のやるべきことで、将来の道を探る方法でもあるということを書きました。そして、歴史はエモーショナルに、感情的にとらえられてしまってはダメで、冷静に歴史の事実を受けとめて、それを記憶し続けることが重要(下線;引用者。以下同)なんだといったのでした。

 …私たちはいま広島について考え続けねばならない。広島を忘れてはいけないと思うんです。こういうことは忘れて、日本はさらに大々的に発展しようじゃないか、新しい憲法をつくって、核兵器も持とうじゃないか、外国に軍隊を送ろうじゃないかという考え方、ニーチェ型の、それも現実派の人がたくさんいますよ。しかしそうじゃなくて、私たちはあの戦争のことを記憶すべきだと思う。

 もう一つ重要な点は、私も含めて核兵器のことを書く、あるいは反核の運動をする、そういう者たちはしばしばエモーショナルだったんじゃないかと思うんです。私は自己批判をこめていっています。『ヒロシマ・ノート』という本はエモーショナルに書かれていると、いま私は思いますね。あの時の私には、そう書くほかなかった。自分の感情を強くこめて広島を書こうとした。

 しかしそれにはやはりいくつもの問題があったと思うんです。そうじゃなくて、冷静に、沈着に、穏やかに、時にはユーモアをこめて、事実だけを確実につたえることが必要だった。それも、原爆という大災厄のなかで、人間がどのように生活したかということをつたえることが必要だった。そして、それをしたのが井伏鱒二さんだったのです。かれは現実を忘れなかった。しかも冷静に、エモーショナルでなく私たちにつたえてくれた。(『井伏さんの祈りとリアリズム』より)

 

奇しくも昨日は昭和天皇が崩御して35年の日だった。

その昭和の後半を「戦後民主主義」の文学的旗手として牽引してきた

小説家・大江健三郎が昨年3月に亡くなったことは、

戦後昭和のある種の「平和」の終焉を告げたような気がした。

そして本書を読んでいる最中に、能登で大震災が起こったのである。

巡り合わせとは恐ろしいと思う。

 

東日本大震災の時もそうだったが、今、僕たちが最優先になすべきことは、

大江が言うように、注意深く観察することに他ならない。

被災した人々がどのように苦しんでいるのか、

よく注意・観察して、支援の手を差し伸べるときだろう。

そして東日本大震災から続いた緊急時の支援体制の脆弱さを、

行政はこんどこそ余計なことに金を使わず

教訓として活かしていってほしいと思う。