岩波明著『心に狂いが生じるとき 精神科医の症例報告」読了。

 

その引き金は何だったのか?
殺人、自殺、無理心中…。
精神を蝕まれていく隣人の壮絶な現実を描く

突然訪れたかに見える、精神の変調。
そこには日常に潜む、誰もが見落とす「きっかけ」が―。
人はどのようにして「心の病」に罹患するのか?
狂気への淡い境界を越えるとき、身体には何ごとが起きるのか?
「うつ」「アルコール依存」から「アスペルガー障害」「統合失調症」まで、
重度へと陥った具体例を数多く提示、
自分だけは大丈夫だと錯覚している人たちに警鐘を鳴らす。

臨床経験豊富な現役医師が詳細に分析する。

著者の言葉
普通の人物が小さな狂いをきっかけとして、精神全体を病んでしまう、
あるいは人を殺めるような取り返しのつかない行動を起こすこともある。
そこには日常と非日常の裂け目のような、底の見えない怖さが存在している。
精神の「狂い」は、われわれが確固たるものとして信じている安定した日常的な世界の風景が、
実は単なるフィクションに過ぎないことを示唆するようにも思える。(「はじめに」より)

目次より
第1章 依存の果て
第2章 架空の敵
第3章 罪なき殺人者
第4章 摂食障害というゲーム
第5章 無垢な逸脱
第6章 器質性精神病
第7章 精神鑑定の嘘
第8章 うつ病の不都合な真実
第9章 アナンカスト
解説 豊田正義

 

岩波明の書くものは正直でよいと思う。

現役精神科医として臨床現場で見たものを徹頭徹尾基礎にすることで、

それ以外のものを排除し読者に向けて伝えようとする所は非常に信頼できる。

 

本書を読んでいてなるほどと思ったのは、

第8章においての、

安倍晋三(故人)がうつ病だったのではないか、という指摘だ。

2007年の第一次安倍政権退陣の時の状況を分析した上で

そう言っているわけだが、

晩年(特に第二次安倍政権の前後)の、

良くも悪くも快活な様子からはちょっと想像ができないかも知れない。

だが、ちょっと調べてみたところ、

彼の持病であった潰瘍性大腸炎の患者はうつ病を併発していることが

割と多いらしい。

うつ病と炎症性腸疾患の関連、抗うつ薬の効果について (morisawa-mental-clinic.com)

 

そう考えてみると、第二次安倍政権前後の彼の(表面的な)快活さは

抗うつ剤の影響、あるいはその処方の調整過程で生じる「躁転」であったのかも

しれない。

実際任期中の彼は、多弁であったかと思うとふと黙り込んだり、

記者会見を行うべき時に行わなかったりといったことが

多々あったような気がする。

もはや死人に口なしだが、

彼には生前にそのあたりのことをぜひ自身の口から語ってほしかったと思う。

そうすれば本書の著者・岩波も指摘しているように、

今うつ病と戦っている患者たちにとってどれ程か励みになったことだろうか。

 

「文庫版あとがき」の中で岩波は言う。

 この世界で起きる悲惨な出来事に、われわれが理解できる「意味」がわるわけではない。本書に述べたケースのように、精神疾患に罹患し「心に狂いが生じ」、そのため重大な罪を犯したとしても、本人に落ち度があるわけではない。患者本人にもあるいは被害者にとっても、不条理な出来事というしかない。どうして自分だけがこんな目に合うのか。自分がいったい何をしたというのか、そう彼らは自らに何度も問いかける。

心を病むということは非常に辛く苦しいことである。

その辛苦から抜けるために求めた出口が犯罪であったとしたら、

これ以上苦しいことがあるだろうか。

精神疾患に対する理解が以前よりは進んできたとはいえ、

凶悪事件を起こした触法精神障害者も死刑ないし厳罰にしろといった声は

まだまだ根強くある。

日本社会の精神障害に対する理解(=知識)はまだまだ非常に浅い。

裁判員制度で誰もが人を裁く立場に立ち得る以上、

一人一人がこうした分野の知見を深めていかなければならないだろう。