映画『完全なる飼育』を観た。

監督は和田勉、脚本は新藤兼人である。

 

<中年男の病的な純愛を描いた官能ドラマ>中年男の病的な純愛を描いた官能ドラマシリーズ気付くと女子高生のクニコは見知らぬアパートにいた。手錠をはめられ足首も縛られている。そんな彼女を見ている中年男・岩園。クニコは岩園に誘拐・監禁されたのだった。狂乱するクニコに対し岩園が求めたのは彼女を「飼育」し「完全な愛」を作り上げる事だった。©1999東京テアトル/セディックインターナショナル

 

原作は松田美智子の『女子高校生誘拐飼育事件』である。

 

 

高校生の頃、これが駅前の本屋に置いてあり、

人目を忍んで立ち読んだのは青春の苦い記憶と言えよう(苦笑)

ちなみに彼女は松田優作の前妻である。

 

本作におけるクニコと岩園の関係性は、

心理学的には「ストックホルム症候群」と呼ばれるものに近いだろう。

ただしこの作品の下敷きとなった事件そのものとはだいぶ違いはあるようだが。

 

先頃お別れ会が開かれた作家・大江健三郎は、

現代を「監禁された状態」と見做していたとしばしば指摘される。

そういう目で見てみると本作は一種の象徴的な劇に見える。

監禁や洗脳といった事件、出来事は最近でも時々ニュースになるが、

もっと大きくとらえれば、

大企業や国家や世界といったものに僕らは「監禁」されている。

「処理水」の放出、ジャニーズ事務所のスキャンダルなどを見ていると、

そう思う。

 

そこでは監禁者は岩園のようにクニコを「飼育」しようとしている。

クニコとはつまり、監禁された僕らの姿そのものなのだ。