J.オッペンハイマー監督のドキュメンタリー映画
『アクト・オブ・キリング』を観た。
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60年代のインドネシアで密かに行われた100万人規模の大虐殺。その実行者は軍ではなく、"プレマン"と呼ばれる民間のやくざ・民兵たちであり、驚くべきことに、いまも"国民的英雄"として楽しげに暮らしている。(Amazonprimeより)
まずは背景を見て行こう。
1945年日本の敗戦直後、
スカルノ(デヴィの夫)を中心とした民族主義者はインドネシアの独立を宣言し、
以降、4年にわたる独立戦争に突入する。
1949年、ハーグ協定により独立が承認され、
議会制民主主義国家「インドネシア連邦共和国」が誕生する。
1956年、非同盟中立路線を打ち出して西側諸国と決別するも国内政治は混乱し、
対立関係にあった国軍と共産党はスカルノの調停の下で危うい均衡関係にあった。
1965年9月30日、一部国軍も含む共産勢力によるクーデタ未遂が起き、
これを鎮圧したスハルトが実権を掌握、
スカルノは辞任に追い込まれ共産党は非合法化される。
以後、「反共」の名目の下に政府に反抗的、非協力的な者は、
共産党との関係の事実の有無を問わず「共産主義者」として弾圧されるようになる。
これを実際に担ったのが「プレマン(自由人)」と呼ばれる
地元のやくざや民兵集団だった。
本作に登場するアンワル・コンゴもそうした「英雄」の一人である。
監督であるオッペンハイマーは最初、虐殺の被害者たちを取材していたが、
インドネシア政府筋により被害者への接近禁止命令が出たため、
アンワルのような加害者たちを取材し始めた。
そして彼らに虐殺の再現映画の制作を提案したところ、
アンワルたちが快諾した、ということである。
心理療法(精神療法)の一つに「サイコドラマ(心理劇)」というものがある。
ロールプレイ(再演)などの技法を通じて被療者に一種のリフレーミングを促し、
それを通じて被療者のメンタルや行動の改善につなげるものだが、
本作はまさに映画製作を通じた虐殺加害者に対するサイコドラマの実施、
と言えるだろう。
実際、アンワルは撮影が進むにつれて自らが行った行為の意味を、
「英雄」的なものから明確な「虐殺」として捉え直すようになっていく。
加害者に「加害者意識を持て」と言葉で言うのは簡単だが、
実際にそれで加害者が「加害者意識」を持つことはまずない。
加害者は己の行為の捉え返しによってしか「加害者意識」を獲得することはない。
個人レベルの犯罪でも、虐殺でも、さらには戦争でも、これは同じだろう。
インドネシアはその後、
経済危機を発端にしたスハルト政権の崩壊やスマトラ島沖地震による津波被害、
東ティモールの独立など、様々な変化を見せてはいるが、
今も政府はこの虐殺の非を認め被害者たちに謝罪・補償する、
ということをしていないようである。
ネット上などでは「インドネシアは日本のお陰で独立できた」というような言説を
今でも見かけることがあるが、
虐殺事件に対するインドネシア政府のこうした姿勢は、
そうした意味でも日本との黒い繋がりを連想させるものがある。