岡本かの子の短編『老妓抄』を読んだ。
岡本かの子が49歳で急逝する前年の作品である。
不思議な印象のする、映画で言えば小津映画のような、そんな作品である。
歌人であり、漫画家・岡本一平の妻であり、
芸術家・岡本太郎の母であり、
一時期は愛人を自宅に住まわせ、夫・一平と三人の同居生活もしていたという
岡本かの子は、
ともすれば奇矯であるとか、あるいは華やかなイメージに包まれている。
実際、彼女自身、24歳の時に極度の神経衰弱のために入院している。
しかし、というか、それゆえ、というか、
かの子には仏教研究者という側面もあったようだ。
小説を書き始める前の頃は、歌人としての仕事よりも、
寧ろ仏教関係の講演依頼やラジオでの講話などの依頼の方が多かったようだ。
そうした事情も反映してか、本作にはどこか鎌倉仏教のような、
一種野趣と言ってよいような感覚がある。
おそらくそれは、「無常」と呼ばれるものなのだろう。
向島の芸妓として鍛えられた「小その」には、どこか時間を超越したものがある。
彼女が過ごしてきた旧時代(明治大正期)と、
昭和初期という激変の新時代を象徴するような「円タク」、「自動車」、
「電話」そして「電気」といった文中に差し込まれる時代/社会風俗の対比は、
そのことを至極効果的に知らしめてくる。
時代が変わっても変わらない生き方、理想というものを、
かの子はこの作品で示したかったのかもしれない。
それは余りに有名な、最後の一節に記された歌が示している。
年々にわが悲しみは深くして
いよよ華やぐいのちなりけり