岩波明『精神鑑定はなぜ間違えるのか?』読了。

 

精神医学はいまだに未熟な学問である。精神疾患を確実に診断することが可能な検査指標はほとんど存在しない。いわゆる「脳科学」は大きな進歩を遂げているように喧伝されているが、その技術を用いても、うつ病や統合失調症において脳のどの部分に異常が見られるのか明らかにすることは不可能なのである。したがって、法廷における「精神鑑定」に誤りが多いことも、ある意味当然なのだ。
さらに、「精神科医」自体の問題もある。精神鑑定を担当する精神科医のレベルはさまざまである。一流の精神科医もいれば、二流、三流、ときにはそれ以下の医者が鑑定を行っている現実がある。基本的な診断も理解していない精神鑑定書を見て、啞然とすることもまれではない。

目次

第一章 附属池田小事件
第二章 新宿・渋谷セレブ妻夫バラバラ殺人事件
第三章 池袋通り魔殺人事件
第四章 連続射殺魔・永山則夫事件
第五章 帝銀事件

 

刑事事件、特に殺人事件では被告の刑事責任能力が争点となり、

精神科医による精神鑑定が行われることが少なくない。

本書の著者・岩波氏は都立松沢病院の元勤務医であり、

世間的にも注目度の高い5つのケースをあげて、

精神鑑定の現状と、技術的あるいは制度的な問題について、

わりと淡々と書いている。

 

岩波氏が書いているように、

精神医学の分野では現在、決定的な診断方法がない。

問診やMRIなどの身体的検査あるいは心理検査などから

個々の医師が国際的な診断マニュアルに沿って総合的に診断している。

随って各医師の力量が問題となってくるし、

精神鑑定の場合であれば元々の制度的な問題もある。

そこでは誤診がそのまま被告の死刑判決にもつながり得るのだ。

 

個人的に印象に残ったのは、

第3章で取り上げられている池袋通り魔殺人事件のケースだろう。

この事件についてはなんとなくそんな事件があったなという印象だけで、

詳細をほとんど知らなかったのだが、

苛酷な家庭環境で育った元被告=死刑囚が

置かれた環境の中で精神を病み、

しかも刑事責任能力ありと見做され死刑判決を受けるというのは、

やはりこの国の精神鑑定の在り方、司法の在り方に対する、

一つの大きな投げかけとなるのではないだろうか。

 

犯罪はもちろん厳しく取り締まらねばならない。

しかし、殊犯行当時に刑事責任能力を有しなかったものに対する免責は、

刑法にも規定されている通り、きちんと守らなければならないとも思う。

精神疾患は誰しもが抱える可能性があり、

民主主義体制における司法の公正公平な在り方を守る上では、

それは必要不可欠なものだ。