藤木久志著『中世民衆の世界』読了。

 

戦国時代,村では「領主は当座の者,百姓は末代の者」といわれていた.旅人にも開放されていた村のシンボル・惣堂や生産拠点であった周辺の山野などを舞台にくり広げられる土着の百姓の生活と村の掟を生きいきと描きだす中世民衆史.共同体として自立していきながら,近世にも継承される中世の民衆世界の深層にせまる.

 

日本で民衆が集住しだしたのは鎌倉時代後期だと言われている。

それまでは荘園公領制の下で各地にモザイク状に点在しており、

民衆同士の横の繋がりは薄かったようだ。

だが鎌倉時代の到来とともに武家社会へと移行し、

かつては貴族や寺社のものだった荘園の獲得に地頭なども参入し始めると、

民衆は自分たちの領地や作物、家財を護るために集住していくようになり、

やがて惣村が形成されていく。

 

各惣村にはそれぞれに寄り合いなどで決められた掟があり、

住民はそれに従って生活していたわけだが、

共通しているのは戦争や飢饉、災害、公儀(領主)の暴政に対抗するため

自分たちの自治性を確保しようとしていたことだろう。

中世の日本は戦乱は固より、疫病や災害も多く、

これらから民衆を護るセーフティーネットとしての行政機能も弱かったから、

民衆は集住し、各々の掟を遵守することで自存自衛していたのだ。

 

こうした名残は実はつい最近まで残っていて、

僕が子どもの頃、つまり昭和末期~平成初期にも無尽講などが存在していた。

日本は元来、フォーマルな政府機能だけでなく、

インフォーマルな互助制度(ソーシャル・キャピタル;社会関係資本)によって

社会を成り立たせていたのだ。

 

こうした従来のインフォーマルな互助制度が衰退していったのは、

言うまでもなく近代化と高度成長が原因である。

都市化と人口流出が進み、そもそも互助制度を支えていた人員がいなくなった。

近代戦争もそれに拍車をかけていたと言えよう。

最近では各種NPOの支援活動やSNSなどでの情報共有、

学習塾などでのつながりがこれにとって代わる兆候が見えるとはいえ、

まだまだ互助制度として確立したものというまでには至っていない。

こうした機能が中世民衆世界の在り方に学ぶべき点は大きいように思える。

 

ところで本書で特に面白かったのは、

各地の惣堂(草堂)に残る落書の話である。

お堂の天井や板壁、床下などにいろんな落書があるわけだが、

中には同性愛行為をうかがわせるものが少なくないそうだ。

森蘭丸など戦国大名が小姓を戦場に随伴させていたのは有名だと思うが、

中世にはごく一般的な民衆のレベルでも、

このような同性愛行為がごく普通に行われていたことを証立てるものだろう。

そう考えると現代の日本というものがいかに物心ともに貧しいのかが

痛感されるのではないだろうか。