ドキュメンタリー映画『中支那鉄道 建設の記録』を観た。

 

 

 

鉄道省(旧国鉄)が中国に鉄道網を築いていく一部始終を記録した貴重なドキュメンタリー映像です。

 

 

制作は同盟通信社、旧鉄道省(国鉄、現JR)が監修したものであるらしい。

リンク先にもあるように、

同盟通信社は現在の共同通信社及び時事通信社の前身であり、

戦争当時、

こういった国策記録映画やニュース映画の制作を一手に引き受けていた会社である。

映像メディアが乏しかった当時、

こうした記録映画やニュース映画がフィルムとして各地の映画館に配給され、

一般庶民は映像としてのこうした情報は映画館に出向いて見ていた。

 

また、「中支那」とは当時の日本側の呼称(蔑称)で、

中国では伝統的に華中と呼ばれる、黄河と揚子江とに挟まれた地域のことを指す。

日本の鉄道省が中国大陸に出て行って鉄道を敷いていること自体が

いまなら当然疑問符がつく出来事であるが、

当時は治安維持法と「暴支膺懲」を合言葉とした世論とによって

そうした疑問を口にすることは封殺されていた(要するに言論統制)。

 

映像には「日本通運」も出てくる。

言わずと知れた、今でも存在している大手輸送会社である。

また、鉄道敷設のための資材は現地で調達されたことが明言されている。

「血の滲むような努力」などと表現されているが、

要は徴発(略奪)品である。

鉄道によって輸送されている豚や鶏などの家畜その他の品も、

おそらくは多くはそうした徴発(略奪)品と思われる。

 

1940(昭和15)年、

日本軍は中国国民党の幹部であった汪兆銘を擁立し、

傀儡政権「中華民国国民政府」を樹立する。

だが政権樹立の過程で汪兆銘が日本軍の傀儡であることが現地住民に知れ渡り、

政権が樹立される頃には既に民心は汪兆銘から離れていた。

にも拘らず日本軍は政権樹立を強行し、様々な策謀をめぐらすことになるが、

どれも場当たり的なもので、結果としては何一つ成功しなかったと言ってよい。

 

 

こうした場当たり的な統治の進め方は、

今の日本にも継承されているのではないだろうか。

 

今年は日中国交回復から50年の節目となる。

しかし、ロシアによるウクライナ侵略を機に、

日中間の緊張は以前にも増して高まっている。

正義のないところには平和はありえないし、

戦争は始まってしまえばもはや誰にも止めることはできない。

過去に目を背けることなく、

事実を事実としてありのまま受け止める勇気が、

現代人には必要とされるように思う。