寺山修司の戯曲『毛皮のマリー』を読んだ。

 

 

寺山の代表的な戯曲であり、

文句なしのエンターテインメント作品と呼んでいいだろう。

東西天地、様々なものがマリーという男娼が持つ魔女の大釜に放り込まれて

ごった煮にされ、あちこちで悪魔的な腐臭を放っており、

観客(読者)はラフレシアに誘き寄せられる無数のハエになってしまう。

寺山の言葉の魔術こそがその地獄を現出しているのであり、

悪夢のような(ユング的な意味での)象徴劇というべきだろう。

父の不在と、母の肥大こそ、相も変らぬ日本の現実なのだ。