トリスタン・ツァラのダダ宣言集を読んだ。
訳者はボードリヤールの翻訳・研究で有名な塚原史氏だが、
ダダ、といっても『ウルトラマン』に登場する三面怪獣ではない。
というマエガキの書き出しで笑わせてもらった
ダダは第一次大戦の最中、1916年にチューリヒで、
トリスタン・ツァラら少数の若手芸術家による宣言によって始まり、
第一次大戦中と戦間期に世界中に広まった芸術運動だったが、
体系だった運動原理や理論があるわけではなく、
むしろ戦争への反対と並行して、そうした組織化集権化への反対運動でもあった。
日本では辻潤や高橋新吉、吉行エイスケ(吉行淳之介らの父)、初期の中原中也らも、
ダダイスムの作品を残している。
DADAは何も意味しない (「ダダ宣言1918」)
とツァラが示した有名な定義からもわかるように、
それは作品の意味化や象徴化、解釈の画一化に抵抗する運動でもあった。
ダダはまたフロイトの精神分析に対しても強く抵抗した。
ツァラは後年パリへ渡り、シュルレアリストのアンドレ・ブルトンと活動することになるが、
このパリ・ダダが精神分析への見解を巡ってツァラとブルトンが分裂したことから、
ダダ運動全体が急速に萎んでいくことになる。
とはいえ60年代のネオダダ運動や70年代のパンクムーヴメントなどにも
その精神は受け継がれており、いまだ多くの潜在性を秘めているように見える。
ダダの最も評価すべき点は「何も意味しない」という消極的な面ではなく、
ツァラが正しく書いているように、
自分以外の個性を尊重しながら、各自が自分自身の条件を維持するような人生の状態を、おれは「おれには関係ない」主義と名づける。そうすれば、国歌になったツーステップ・ダンスの音楽、がらくたを並べた古道具屋、バッハのフーガを伝える無線通信、売春宿のためのネオンサインやポスター、神さまのためにカーネーションをまき散らすオルガンなど、すべてが寄せ集められて、はいポーズの写真撮影と頭ごなしの一方的な教理問答の代わりをするというわけだ。
という、作家の自由や自己実現といった芸術上の課題を、
流行のスタイルや政治権力の介入から防衛するという積極的な面にあったと僕は思う。
そもそもが反戦運動として始まったダダは、
国家やマジョリティーが躍起になって仕掛けてくる言語的・社会的・政治的体系化への
積極的な抵抗であったのであり、
その意味ではすべての作家/アーティスト/クリエイターはダダイストであるべきだと
僕は思っている。
暗喩や皮肉に満ちたツァラの筆致は非常に魅力的である。