フェリックス・ガタリの

『精神病院と社会のはざまで 分析的実践と社会的実践の交差路』を読んだ。

 

 

ガタリが急逝して来年で30年になる。

彼への追悼文のなかで、

共に活動を続けてきた哲学者G.ドゥルーズは


フェリックスの著作は何度でも再発見しなおすべきものです。それがフェリックスを生き長らえさせるもっともすばらしい方法でしょう。


と書いている。(『フェリックスのために』)

 

 

ガタリ自身の二つのテクストを中心とするこの本も、

おそらくそうした著作のひとつと言えるだろう。

ひとつ目のテクストは「レロス島日記」だが、

これは1980年代末~1990年代初めに報道によって暴露された

ギリシア、レロス島の収容施設(形式上は病院)の実態と

ギリシア本土アテネのダフニ病院を視察した際の日記である。

当時のギリシアの精神医療の凄まじい状況が克明に記録されている。

ちなみに表紙の写真がレロスの収容施設で、

ガタリの伴侶であるジョゼフィーヌが撮影したそうだ。 


二つ目は「精神の基地としてのラボルド(原題;レロスからラボルドへ)」。

編者の精神科医ステファヌ・ナドーによれば、

これは1980年代にブラジルで行われた講演の原稿らしいが、

1955年以来フランス中部の病院ラ・ボルドでの活動を通じて育まれてきた

ガタリの思想の要約と言ってもいいだろう。

その内容は彼の思想のより切実な今日性を如実に示している。


ガタリがラ・ボルドでの活動やドゥルーズとの共著、

そして彼個人の言論活動によって目指していたものは結局、

精神医療も含めた社会全体の民主化と、

制度としての精神医療のなかに一種のレーテ(評議会)を導入すること

だったのではないかと思える。

制度としての精神医療はその中でこそ社会全体との間で双方向的治療性をもち、

活性化する、そういう風に考えていたのではないかと、

特に「精神の基地~」からは窺えるように思える。


そうだとすれば、ガタリのこうした考えには僕は全面的に賛同する。

コロナ禍で、それも五輪熱に浮かされた今の世の中で、

ガタリはより一層読まれなければならない。

彼の言い回しや独特の用語は確かに一筋縄では理解が追い付かないが、

一つ一つのセンテンスをよく吟味しながらパズルを解くように読んでいけば

必ず理解できるものだと思う。


今こそガタリの復権は必要である。