ジャン・エプスタン監督の『アッシャー家の末裔』を見た。

[dTV] アッシャー家の末裔 #dTVhttps://video.dmkt-sp.jp/ti/10003272
原作はE.A.ポーの『アッシャー家の崩壊』(未読)。





『アンダルシアの犬』や『昼顔』などでも知られる若き日のL.ブニュエルが
途中まで脚本に関わってたらしく、
不気味な映像の連なり(シークェンス)には確かにどことなくブニュエルらしさが垣間見える。


物語としては、
ある秋の日、今は奇病により隠栖している旧友ロデリックからの招きで
彼の屋敷を主人公が訪れるところから始まる。
伝統ある名家として知られる彼の屋敷ではあったが、
そこは言い知れぬ陰鬱な雰囲気に包まれており、
周辺の住民たちにも避けられていた。
精神を病んだ妻とともに孤独に暮らすロデリックは、
日がな彼女の肖像を生きているかのように描くことに腐心し、
一方で現実の彼女はまるで肖像画に生気を吸い取られていくかのように青ざめていく。
そんなロデリックの鬱屈した日々も、
友人である主人公の来訪で読書やギターを爪弾くなど
一時生気を取り戻すかに見えたが、
やがて妻の死とともに次第に精神に変調を来していく。

原作とは登場人物の設定に若干の違いがあるらしく、
本作では妻となっていたマデリーンは原作では妹であるらしい。
ブニュエルが途中降板となった理由はおそらくここにありそうな気がする。
確かにマデリーンが妹であれば、
ブニュエルお得意のフロイト的精神分析的な近親相姦のテーマが
浮かび上がってきそうではある。
だがエプスタンはそうしなかったし、逆にマデリーンを妻とすることで、
映像のみならず創作一般に普遍的とすら思えるテーマを強調することに
完全に成功しているように思える。
それは言うなれば「母なるもの」の問題である。

現実的にも象徴的にも、「母なるもの」は創造の源泉である。
生物学的な母がいなければ現に子どもが生まれることはないのだし、
ユングによれば、象徴的な意味でも、
創造は「母なるもの」=グレートマザーとの対決がなければなし得ない。
物語の終盤、主人公は精神に変調を来したロデリックに対して
竜と戦う戦士の物語を読み上げるが、
これなどはまさしくその証左だろう。
ユングの深層心理学において、竜は屡々グレートマザーの象徴とされるからだ。

また、ロデリックが肖像画にのめり込めばのめり込むほど、
現実のマデリーンが生気を失っていく、というのも示唆的だろう。
一般的に見ても、
価値があるかどうかもわからない肖像画を描くことに没頭することは
現実的生物学的な生(活)を危うくするものであろうし、
また別の面からすれば、
アッシャー家そのものを一つの人格と見なす場合には、
一つの人格の放蕩と現実適応能力の低下ないし減衰とすることも可能だろう。
実際、原作者のポーは生涯を通じて飲酒や賭博癖のために貧苦に悩まされ、
1849年、極貧のなかで死んでいったという。

アメリカの社会は今日僕らが思う以上に、血や家系といったものを意識する。
例えばT.ピンチョンの短編集『スロー・ラーナー』の解説で訳者の志村正雄は、
ピンチョンと同名の大伯父がN.ホーソーンの『七破風の家』の登場人物をめぐって
作者ホーソーンに厳重に抗議したというエピソードを書いている。

「われらが先祖の善良なる名前を取りあげて同胞の嘲笑、軽蔑の的にするとは何ごとですか」「わが家系の者はその数、ごく限られていて、全米にこの名の者、二十名を越すことなく、そのすべてが緊密に血縁で結ばれており、その全員がお互いを知っています。この小さなわが集団に属さないピンチョンなど、いないのです」
ポーもまた、実父の破産によって、幼くして富裕な商家アラン家に引き取られている。
しかし飲酒や賭博癖のために莫大な借金を背負い、
養家の事業の失敗もあって貧乏の奈落へと転落していく。
そうした中で彼のなかに「アラン家」や「ポー家」といったものが
まったく意識されていなかったとは思えない。
エプスタンはポーのこうした側面を上手く捉えたのではないか。

しかし、ポーにとって、
こうした家系や血筋といったものが対決すべき「母なるもの」であったとしても、
その戦いは決して幸福な結末を迎えるものではおそらくなかった。
だからこそアッシャー家は崩壊するのだろうし、
マデリーンは一度は埋葬されることになる。
一縷の望みは、生きながらにして埋葬されたマデリーンが再び蘇り、
崩壊していくアッシャー家の屋敷を背後に
主人公とともにロデリック夫妻も脱出することだろう。
主人公はまさしくアッシャー家という竜の下から夫妻を救い出すのだ。

おそらくこの結末も、原作とは違うのだろう。
現実のポーは、この他に『大鴉』『モルグ街の殺人』『黄金虫』など、
数々の作品を残すが、生前はついに真っ当に評価されなかった。
彼が評価されるのは没後、海の向こうの大陸で、
C.ボードレールによる翻訳と象徴派の活動を通じてである。
しかしポーが遺したものを想うとき、
エプスタンのこの解釈は非常に重要、示唆的であると言うべきだろう。
そしてそれはまた、
エプスタン自身にとってもおそらく自己言及的なものだったのではないだろうか。