たとえば僕が死んだら
そっと忘れてほしい
寂しい時は僕の好きな
菜の花畑で泣いてくれ

一昨年亡くなったSSWの森田童子はこう歌い遺して逝ったが、
春は出会いと別れの季節である。
しかし中には絶対に認めたくないというような別れもあって、
今朝のコメディアン志村けんの訃報などは殆どの人がそう思っただろう。

僕自身にとっても、
志村けんというコメディアンは
幼い頃からテレビの中で活躍する、
同時代のコメディアンの代表格であった。
『8時だよ全員集合』などはちょうど終わりの頃で
ギリギリなんとか間に合っていた頃だろうが、
『だいじょうぶだあ』とかバカ殿様なんかはど真ん中で、
『だいじょうぶだあ』は毎週見ていたし、
石野よう子との掛け合いが絶妙な夫婦コントや貧乏コントが特に好きだった。
もちろん、研ナオコや柄本明とのコントも、いつも安心して?笑っていられた。
振り返ってみれば志村けんという人は、
しっかりしたストーリーを立ててお笑いをつくる、
恐らく最後の世代だったのではないだろうか。

話は逸れるけども、
僕らの世代は俗に「ロスジェネ」と呼ばれる。
バブル崩壊後に思春期をむかえ、
長い長い就職氷河期の中をさ迷い、
「戦後日本」の崩壊の過程を生きてきた。
それは恰もフィッツジェラルドの

もちろん、人生とはひとつの崩壊の過程である。

という有名な文章をなぞるかのようである。 
僕らの世代はその中で多くのものを失ってきたし、
また、諦めざるを得なかった。
マクロな意味での政治・経済的なことばかりではなく、
見慣れた町の風景や家族も含めた個々の繋がり、
「戦後日本」を代表するような愛すべき人々の面影をも。
そして、それらは残念ながら、時とともに記憶の底に沈んでいく。
それは、もちろん仕方のないことなのかもしれない。
しかし、殆ど生まれたときから「崩壊の過程」を生きてきた僕ら、
いや、少なくとも僕なんかは、
どうしてもそれに抗いたい気持ちも一方にはある。
忘れずにおこう、とも思う。

昨日の東京は大雪だったようだが、
桜はすでに咲いているようである。
僕のいる秋田はまだまだ寒い日が続く。
そしていつ終息するともしれないこのパンデミックの不安と恐怖が、
菜の花の咲き誇る頃には鎮まってくれればと願う。
それまではどうか、生きて。