これは水ですこれは水です
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夭逝した
天才ポストモダン作家が
若者たちに遺した
珠玉のメッセージ!
反知性主義に抗い、
スティーヴ・ジョブズを凌いで
全米第1位(2010年タイムス誌)に選ばれた卒業式(コメンスメント)スピーチ

「来る日も来る日も」が本当は何を
意味しているかを、あなたがたはまだ
ご存じない。そこにあるのは、退屈、
決まりきった日常、ささいな苛立ちです。

そこから自由になるためには、
「何をどう考えるか」を
コントロールするすべを学ぶこと。
そして頭の「初期設定(デフォルト)」をリセットすること。(帯より)

D.F.ウォレス『これは水です』を読んだ。
サブタイトルは「思いやりのある生きかたについて大切な機会に少し考えてみたこと」。

D.F.ウォレスという作家について、僕はほとんど何も知らない。
名前くらいは書店の棚で見かけた覚えはあるが、
彼が『ヴィトゲンシュタインの箒』という小説でデビューし
現代アメリカ・ポストモダン文学の旗手の一人と目されていたことや、
大学院以来ずっと双極性障害に悩まされていたこと、
そのせいで何度も入退院を繰り返し、薬も飲み、入院中は十数回も
ECT(無痙攣性電気ショック療法;薬物療法の効きにくい重症鬱症例などに施されることがある)を
受けていたこと、
2005年、スティーヴ・ジョブズがスタンフォードの卒業式でスピーチをしたのと同じ年に、
リベラル・アーツ・カレッジであるケニオン・カレッジでスピーチをしていたこと、
そして2008年、世界がリーマンショックに揺れる最中に自宅敷地内にて縊死したことなども
何も知らなかった。
僕がこの本を手に取った動機はただ、『これは水です』という、
ちょっとM.フーコーの『これはパイプではない』という論文のタイトルを思い起こさせるような
風変わりなタイトルと、
純粋に美しいその装幀に惹かれたまでのことだ。

しかし、いざ読んでみて感銘を受けずにはいられなかった。
自身もリベラル・アーツ・カレッジであるアマースト大学で学んだウォレスは、
ここでは同じくリベラル・アーツ(一般教養)を学んだケニオンの卒業生たちを前に、
「リベラル・アーツとは何か」ということについて、真摯に問いかけている。
彼によれば、
リベラル・アーツとは一般的には「ものの考え方を学ぶ」ことだとされているが、
実はそこには止まらない、もっと深い意味があるのだという。

「ものの考えかたを教える」という
リベラル・アーツの決まり文句が
じつはとても深くたいせつな真実を
みじかく端折っていることが
見えてきたのです。

「ものの考えかたを学ぶ」とは
ほんとうは
なにをどう(原文傍点。以下同じ)考えるか
コントロールするすべを学ぶ
ということなのです。

それは意識して
こころを研ぎすまし
何に目を向けるかを選び
経験からどう意味を汲みとるかを選ぶ
という意味なのです。

なぜなら、社会人生活のなかで
こうした選別ができず
しようともしないなら
とんだ辛酸をなめるからです。

こころは
「気の利く召使だが
恐ろしい暴君でもある」
という古い決まり文句を
思いだしてください。

多くの決まり文句のように
これも表向きは
ずいぶん時代遅れで
ありきたりに聞こえますが
じつは重大な恐ろしい真実を
言いあらわしているのです。

銃で自殺する大人の
ほとんどが
撃ち抜くのは……
頭部なのですが
少しもこれは偶然ではない。

こうして自殺する人の大半は、
じつは引き金をひく前から
とうに死んでいるのです。

あなたがたの受けたリベラル・アーツの教育に
リアルで、のっぴきならぬ価値が
あるとすれば、ここだと思います。
あなたがたのこれからの
快適で豊かで
ちゃんとしたものであるはずの社会人生活が
知らぬ間に、死人も同然の
頭の奴隷に変じて
尊大にも唯一無二の存在として孤立し
生来の初期設定のまま
来る日も来る日も過ごすということを
いかに避けるかにあるのです。

「リベラル・アーツ」とは本来その原義から言って、
「社会人生活のタコツボ」から人を自由へ導くための術だ、
というウォレスの考え方には全面的に賛成する。
「来る日も来る日も」やってくる「退屈」、「決まりきった日常」、
そして「ささいな苛立ち」といったものがいかに錯覚にすぎないかは、
まさに今般の新型コロナウィルスによるパンデミックの状況や、
あるいはまた東日本大震災や水害や台風のような天災によっても明らかだろう。
そのとき唯一ドン・キホーテの槍足り得るのは、
他ならぬこのリベラル・アーツ(一般教養)でしかないのだ。
言い換えればそれは「タコツボ」から逃れ得る道具であるとともに、
新たな世界を創り上げるための、些か頼りない道具でもあるのだ。

それにしてもウォレスの言葉の真摯さには本当に感心する。
上の引用でもそうだが、ウォレスはこの本(スピーチ)のなかで
度々自殺(者)の例を出していて、
それは当然ながら後年の彼自身の自死をも想起はさせるのだが、
しかしそれは結果にすぎまい。
言うべきは彼が常に生と死のあわいで<ことば>を紡いでいたこと、
ここに記されたリベラル・アーツについての彼自身の洞察もまた、
そうした営為の中から生まれてきたものである、ということだろう。
そしてそれはまた同時に、
パンデミックやテロや災害や貧困の中にある今現在の僕らにも
共有されるべきものなのではないか、ということである。

日本政府による気紛れとしか言い様のない政策。方針のために、
卒業式を迎えられなかったすべての学生にこの本を献じたい。
あなたがたの学んだリベラル・アーツを、ぜひ、
このろくでもない世界の明日のために活かしてほしいと思う。