「要するに餌の問題だ。餌というものが何よりも大切なのだ」

 リスに餌をあたえる「神」になど、なりたくないと、この私は言う。だが、それはただ口さきでそう言うだけであって、当の本人の本心は、はたしてそうなのであろうか。私の一生を通じて、私は「神になりたい、神になった」と願ったり自覚したりしたことが、一回もなかったと断言できるのだろうか。あるいは、今の今、自分はまごうかたなき神様の御命令によって発言し行動しているのだという、理解できがたい一瞬の白光につつまれたことが、絶対になかったと言い切れるだろうか。あるいはまた、長いあいだ餌をあたえて飼いならしてきた小鳥が、全くこちらを信頼しきって手のひらにのっているとき、五本の指をにぎりしめて、その小鳥をしめころすことも、放してやることも自分には自由にできるのだという、身ぶるいするような感覚に襲われたことがなかったと、言えるものかどうか。

 ──「絶滅」という日本語があって、やはりそれは重要な因子であるように思われる。ネズミを絶滅することは絶対不可能という予感があるため、絶滅とネズミが結びつくのであろうか。リスの方は、人間がそれを望まないでも、一族の子孫が絶えてしまうという予感がある。したがって、リスと絶滅はどうしても結びつかない。わざわざ結びつける必要が、もともとないのであるから。今のところ人類はまだまだ、ふえつづける予想が強いので、かえって「絶滅」が不吉な実感として迫ってくるのである。


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