今の日本の言論、
特に市井の「リベラル」を自称する一部の人たちの間に蔓延する
こうした「公論」感覚の欠如、
自由とはつねに思想を異にする者のための自由である(R.ルクセンブルク)
という自覚のなさ、言い換えれば、
「表現の自由」を自分の主張を好き勝手に披歴する自由と勘違いし
自分と思想を異にする者の存在を認めず、
相手にレッテル貼りをして恬として恥じないばかりか、
あまつさえ「公論」の回路を閉ざしそれとの折衝を避け、
日ごとの鳥の歌声の違いをうまく聞き分けられないほど粗雑なのは棚に上げ、
相手への非難に終始してることこそが、
今の日本のリベラル勢の退潮につながってるんじゃないかと思う。