71年目の沖縄慰霊の日。
沖縄人でもない僕が、これ以上の何が言えようか。
Cocco『想い事。』より「楽園」。
あまり知られていないがジュゴンの見える丘という
美しい場所が沖縄にはある。
実際、ジュゴンを見たという
そんな人には会ったことがないけれど
それでも私は歩く力を失くした時
何度かその丘に立ってジュゴンを待った。
普天間基地の移設に伴い沿岸だろうと沖合だろうと
その丘の向こうにヘリポートが建設されれば
私たちはまた一つ景色を失う。
そもそも度重なる環境破壊や水質汚濁によって
ジュゴンが帰ってくることなどもう無いのだろうと
覚悟はできていたはずなのに
最後の細い祈りが断たれた気がして、泣いた。
私は基地のない沖縄を知らない。
生まれる前から基地はもうそこに在った。
人生において
あの人と出会っていなければ
私は今、存在していなかっただろうという出会いは
幾つかある。
その人が、その一人だった。
“愛してる"だけじゃ届かない世界で
“愛すること”しか知らなかったあの頃の私に、
あの出会いは絶対だった。
父親の記憶が朧げなその人は
米国軍人と沖縄人との間に生まれた
アメラジアンだった。
沖縄の人は皆、やさしい。
大抵の人は口を揃えてそう言う。
懐が深く、慈悲深い、と。
ところが私はその人の側で 愛する沖縄が容赦無く
彼に過(か)す仕打ちを見てきた。
誤解を恐れずに言うなら基地の存在を
否定することは彼の存在を否定することだった。
それでも米国軍人による犯罪や事件は
途絶えることが無く、
沖縄が傷付けられ
虐げられてきたことも紛れも無い事実だ。
“YES"も“NO"も私は掲げてこなかった。
こんなの戦時中で言うなら間違いなく非国民だ。
でも、“YES"か“NO"かを問われることは
残酷だという事を知ってほしい。
返還とは、次の移設の始まりで
基地受入れのバトンリレーは終わらない。
どこかでまた戦いが始まるだけのことだ。
生まれて初めて私は、はっきりと願った。
あの出会いを失くすとしても、
あの存在を否定することになっても。
馬鹿みたいに叫びたかった。
例えばその全てをチャラにして
能天気に鼻歌なんか歌いながら
高い高いあの空の上から
ただ“I LOVE YOU"を掲げて。
私たちの美しい島を、
“基地の無い沖縄”を見てみたいと初めて、願った。
じゃあ次は誰が背負うの?
自分の無責任な感情とあまりの無力さに
私は、声を上げて泣いた。誰か助けてはくれまいか?
夢を見るにもほどがある。
私は馬鹿だ。
ぶっ殺してくれ。
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