池内恵さんの『現代アラブの社会思想』を読み終えた。
現代アラブの社会思想 (講談社現代新書)/講談社
¥864
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本書が出たのは2002年1月。
そのわずか3か月前にはアメリカ同時多発テロが起こっている。
あの事件以降、世界の相貌は一変してしまったようにも思える。
アルカイダなどイスラーム原理主義組織の跳梁跋扈、
4年前のアラブの春、そしてIS(「イスラーム国」)の登場と、
国際政治におけるイスラーム圏の存在感は
日に日にいや増しているように思える。
しかし、実際にはそうした流れはすでに90年代からあったということが
本書を読めばよくわかると思う。

冒頭、ロジェ・ガロディという、
一人のフランス人哲学者の紹介から始まるのが面白い。

 一九九六年の夏、筆者はエジプト、ヨルダン、シリア、イラクなどの東アラブ地域を三ヶ月ほどかけて周遊したのだが、行く先々で、一人の「西欧の大哲学者」が歓待されている光景とかち合った。ロジェ・ガロディというフランス人である。講演ツアーでアラブ諸国を回っていた。偶然にもまるで筆者の旅程を先回りするように彼が来ているので、妙な気持だった。国境を超え、その国の新聞に目を通すたびに、「大哲学者ガロディ氏来たる」「ガロディ氏記者会見」「ガロディ氏講演」といった活字が目に入ってくる。テレビでも、彼の一挙手一投足が報道されていた。
 筆者の知らない大思想家がいたのか。そう思って本屋に行くと、彼の著書のアラビア語訳がいくつも平積みになっている。日本に持ち帰って、それらを読むかたわら、彼の素性やアラブ世界での受容の経緯について調べてみたところ、事情が飲み込めてきた。
 ガロディは、論究するのが厄介な人物である。一九六〇年代前半、彼は、「マルクス主義的ヒューマニズム」を唱え、フランス共産党の代表的理論家の一人だった。しかし一九六六年、アルチュセールの構造主義マルクス主義との論争で劣勢に立たされる。歴史発展の中での人間の主体性を擁護する彼の議論は、洗練度には欠けるものの真摯なものとはいえる。要するに、ファッショナブルな理論的意匠を凝らすスターが現れ、時代の流れから取り残されてしまったわけだ。
 アルチュセールとの論争よりもガロディにとって大きな打撃だったのは、一九七〇年に党を除名されたことである。ヒューマニズムの見地から個人の自発性を重視したこと、ソ連の現状を否定的に評価したことなどが、中央集権的な共産党指導層の不興を買った。
 活動の基盤を失ったガロディは、思想的遍歴を繰り返す。その過程で、宗教への関心を深める。プロ天スタントからカトリックに改宗し、神秘主義思想に傾倒した。同時に深まっていったのが、西欧の知的エスタブリッシュメントに対する憎悪の感情である。
 宗教への関心と自分を疎外した西欧知識人への敵意がなさしめたのだろうか、ガロディは一九八一年にイスラーム教に改宗した。西欧ではさほど話題にはならなかったのだが、アラブ世界では「西欧を代表する思想家による、真の宗教=イスラーム教への帰依」として歓迎され、ガロディは新たな活躍の場を得た。
 ガロディは、八〇年代半ばから、西欧の知識人の偽善を論難する書物を著していく。そこで主要な対象となったのが、ユダヤ人とイスラエルに関する問題である。シオニズムやイスラエル国家に対して批判的検討を加えることは「反ユダヤ主義」と見なされかねず、西欧知識人が踏み込みにくい領域だが、ガロディはそこを西欧思想の致命的な欺瞞として執拗に攻撃した。それが「ホロコースト否定」や「ユダヤ・ロビーの陰謀」説】と受け止められる主張を含むようになると、摩擦は避けられなかった。
 大問題となったのが、一九九六年に出版された『イスラエル政治存立根拠の神話』である。この本でガロディは、シオニズムの宗教的な論拠を否定し、ホロコーストの存在を疑問視し、ユダヤ・ロビーによるフランス政治への影響を問題にした。この本を出版したことにより、ガロディは、九〇年に制定された、ニュルンベルク裁判の結果を否定する言論活動を禁じる「ゲーソ・ファビウス法」にもとづき訴追される。
 アラブ世界で彼が一般に知れわたったのは、このときだろう。ガロディはフランスのメディアからは糾弾されたが、アラブ世界では英雄視されるようになった。

ガロディに限らず
どこの国にもこうした学者や知識層はいそうな気がするが、
それはともかく、彼のこうした思想的宗教的変遷、
特にイスラームに改宗して以降のそれが、

世界の政治情勢や思想的発展からの疎外の度を深めるアラブ世界の軌跡とどこか似通っている。その二つが遭遇したのは、ある種の必然性があってのものなのだろう。

と、池内さんは書いている。

第二次大戦後、アラブ世界は欧米の植民地支配から解放された。
しかし1948年にイスラエルが建国されると周辺諸国との軋轢が生じ、
数度の戦争を経て、今のパレスティナ問題等にまで至っている。
中でも1967年の第3次中東戦争と
当時のエジプト大統領ナセルの死は
アラブ世界の知的状況を一変させたといい、
その余波が現在にまで及ぼされていることが見て取れる。

そして60~70年代にかけて、アラブ世界では、
PFLPや「黒い九月」など
マルクス主義に基づいた「人民闘争論」が主流となり、
日本赤軍などと協調しながら世界中でテロ事件を引き起こした。
しかし1975~90まで続いたレバノン内戦でその理想が瓦解すると、
やがて政治や生活全般を、近代法・政治ではなく、
イスラームに基づいたスンナ(慣行)で統治していこうとする
イスラーム主義が台頭してくる。
アラブ諸国各地に存在するムスリム同胞団やハマース、
あるいはイラン革命のホメイニなどが代表的だが、
やがてその中から、
より狂信的なイスラーム原理主義者たちが誕生してくる。

そうした流れが現在のアルカイダやISにつながってくるわけだが、
それには90年代以降、
アラブ世界で政治家や知識層にまである程度広範に広まった
イスラーム終末論や陰謀史観、オカルト思想があったと
池内さんは指摘する。
そしてそうした文献の詳しい分析を行っていくのだが、
唖然とするほど非科学的な言説が
恰も真実であるかのように垂れ流され、
しかもそれが広く人口に膾炙、浸透しているということが衝撃的だった。
しかしイスラーム原理主義が勢力を伸ばす背景に
こういった事情がある以上、
僕たちにはこれを理解しようと努力する必要があると思うし、
そうしなければイスラーム原理主義者たちの行動の把握だけでなく、
ひいては僕たち自身の安全を確保することも難しくなるだろう。

そういう意味で、帯にもあるように、「必読の書」だと思う。