『標的の村』の三上智恵監督、
ナレーションは沖縄出身のアーティストCoccoが務めた
ドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み』を観てきた。

戦場ぬ止み
http://www.ikusaba.com/

2014年8月14日、
沖縄・名護市辺野古崎は、
普段は尖閣周辺防備に当たっている
機関砲を積んだ大型巡視船を含む
海上保安庁と防衛局の大船団によって包囲された。
彼らの目的はたった4隻の漁船と20艇のカヌーに乗り込んだ
基地建設反対派住民の制圧。
幸いにも死者までは出さなかったとはいえ、それはもう、
ホロコーストや文革やポル・ポトの虐殺、ピノチェトの圧制、
あるいは記憶に新しいところでいえばリビアのカダフィの暴挙にも
比されるような、
巨大な国家的暴力、犯罪であると言っていいような気がする。

沖縄は戦後も一貫して戦場でありつづけてきた。
朝鮮戦争しかり。
ベトナム戦争ではベトナムをナパーム弾で焼き尽くしたB52が
沖縄から直接飛んでいったし、
68年には那覇港の海底から大量のコバルト60が見つかる
(つまり核兵器が公然と持ち込まれていたという証)という事件も
あったようだ。
さらに前作『標的の村』で明らかにされていたように、
名護からそう遠くない県北部東村高江地区では、
村そのものがベトナムの村に見立てて訓練の標的にされ、
住民はベトナム兵の役で訓練に参加させられたり、
一部では枯葉剤も使われていたという話もある
(いま辺野古で進められている計画はこの当時の軍港建設計画を
なぞったもので、高江のヘリパッドとも表裏一体のものだそうだ)。
そして湾岸戦争、イラク戦争でも、
中東を爆撃するための戦闘機が艦載された空母などが、
沖縄を中継して派遣されていった。

タイトルの『戦場ぬ止み』 とは、
沖縄のこうした戦場としての歴史と
昨年11月の県知事選の結果を踏まえて
反対運動に参加する男性の読んだ琉歌の一節

今年しむ月や 戦場ぬ止み 沖縄ぬ思い 世界に語ら
(「今年11月の知事選は沖縄が戦場であることを止めるものだ。
沖縄の思いを世界に語ろう」の意)

から取られている。
米軍政下の島ぐるみ闘争やコザ暴動、
95年の米兵少女暴行事件に端を発した大規模な抗議を経て、
沖縄は今、戦場であることを止めようとしている。
心ならずも沖縄に基地を押し付けている本土の人間の一人として、
どうしてその声を聴かない理由があるだろう?

反対運動に参加する人たちは、
12歳の女の子から
沖縄戦で苛烈な経験をして生きのびた85歳のおばあまで、
ごく普通の、沖縄の人たちだ。
そして基地に賛成する漁師さんたちも、
ごく普通の、沖縄・辺野古の海人たちだ。
国の命令によって彼らと対峙あるいは協力する警察官や海保職員も、
一度職場を離れればきっと普通の夫であり、父であるはずだ。
その普通の人たちの人間的な交わりを引き裂き、
比喩でもなんでもなく文字通り
沖縄戦で人間の血の交った水を飲んで生き延びてきた
85歳のおばあに
「((トラックに向って)行くんだったら私を轢き殺していけ」
とまで言わせてしまうこの国の政策、指導層とは一体何なのだろう?
正直、異常としか思えない。

そうした異常な政府のやり口に対して、
反対運動をしてる人たちは決してヒートしすぎることなく、
時には歌いながら、時にはユーモアを交えながら、
ひたすら人間的な交わりの中で反対を訴えていこうとする。
賛成派や警官・海保職員たちも、
そうした反対派に和やかに応えようとする場面が多々ある。
もちろん、ボーリング調査やトンブロックの搬入などの際には
緊張した対立場面もあるのだが、
僕はここに、あるべき成熟した民主主義の姿を見たような気がした。

沖縄は戦前・戦中から一貫して戦場でありつづけて来た。
そして映画冒頭の場面で紹介されるように、
辺野古崎周辺の大浦湾は、ジュゴンを始めとして、
国内でも有数の独特な自然環境がほぼ手つかずのまま残っている、
数少ない日本の自然的財産の一つだ。
その風景が、今、基地の建設によって失われようとしている。
沖縄の人たちの声に、本土の僕たちもまた呼応しなければ、
おそらくこの風景は永久に失われてしまうだろう。
かつて水銀化合物の汚染によって
水俣の海が失われてしまったように。
そうなれば、その責任は、
沖縄に過重な負担を負わせ続けてきたことを知りもせず、
声も上げようとしてこなかった僕ら本土の人間にもあることになる。
福島の双葉に続いて、辺野古の人たちにまで、
故郷を失わせてしまうことになりかねない。
僕は一人の日本国民として、
それだけは絶対に避けたいと思っている。

NO MORE WAR. NO MORE BASE.