I.ベルイマン3作目『野いちご』。
 

野いちご <HDリマスター版> 【DVD】/キングレコード
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『第七の封印』『処女の泉』は中世が舞台だったが、
こちらは一転して現代が舞台。
老医学者の独白、不気味な夢、追憶を通して、
現代人の孤独やエゴイズム、救済を描いてるといえる。

3作品の中では最も好きな作品かもしれない。
画面に滲み出る老医学者の孤独には
共感せずにはいられないし、
野いちごから過去の記憶を追憶するシーンや
終盤の若者たちとの別れのシーンは
ただひたすらに美しい。

過去を色々と追憶して懐かしむのは
別段老人の特権というわけではないだろうが、
それでも年を重ねるに従ってそうした機会が増えていくのは
恐らく人間の一つの真実だろう。
その意味で時間がこの映画のもう一人の主人公であることは
最初に老医学者の夢に出てくる針のない時計に
明確に見て取れる。
事実その夢を見て以降の老医学者の意識は
まさに針を失った時計のように、
あるいは蝶番の外れた時間のように
現在と過去と不気味な夢の間を往還するのだ。

人間は常に時間の中に生かされている。
その記憶は時間によって堆積し、順序良く並べられ、
必要な時にはまるで図書館の本のように参照される。
が、時間の蝶番が一度外れてしまえば、
それらの記憶やそれに基く自分のアイデンティティーというものは
箪笥の中から乱雑に抛り散らかされた衣類のように
収拾のつかないセリー(塊)となって人間の方に押し寄せてくる。
例えば認知症などもそうした状態に置かれていると言っていいし、
精神的な障害などから錯乱状態に陥った人なども
そうした状態に置かれていると言っていい。

そうした人たちは非常で孤独でかつエゴイスティックだ。
あるいは人間とは本来そうした存在なのかもしれないが、
他とのコミュニケーションを求めるのもまた
人間の一つの姿だろう。
若者たちとの別れや息子夫婦との「和解」が描かれたラストは、
そういった人間の正の部分を描いていたような気がする。