堀川恵子著『永山則夫 封印された鑑定記録』を読んだ。
永山則夫 封印された鑑定記録/岩波書店
¥2,268
Amazon.co.jp

2012年にNHK・ETV特集で放送された
『「永山則夫 100時間の告白」 ~封印された精神鑑定の真実~』を
書籍化したものだが、
書籍というツールの特性を存分に活かし、
内容は放送時よりも濃いものになってると思う。

ETV特集
『「永山則夫 100時間の告白」 ~封印された精神鑑定の真実~』
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/1014.html

1968~69年にかけて、
東京、京都、函館、名古屋で立て続けに4件の射殺事件が起きる。
最初の事件から半年後の69年4月、
容疑者として逮捕されたのは犯行当時19歳の少年だった。
少年の名は、永山則夫。
網走で8人兄弟の7人目(四男)として生まれ、
青森・板柳町の貧しい母子家庭で育てられた彼は、
しかし幼い頃から家族の愛に飢えていたようだ。

腕の良い林檎の剪定師だった父親は博打狂いで家に金を入れず、
愛想をつかした母親ヨシは、
当時4歳だった永山を含む4人の子を厳寒の網走に置いて
実家の青森・板柳町へ帰ってしまう。
残された永山と3人の姉兄たち(当時8~13歳)は
食料を求めて港のゴミ箱を漁るなどして生きのびたらしい。

常識的に考えれば人非人とも思えるこの母ヨシの行動の背景には、
実は彼女の生い立ちとの関係が隠されていたようだ。
利尻で生まれた彼女は幼くして秋田出身の実父と死別、
生活のため渡った先のサハリンで養父の面前DVや虐待を受け、
更には実母からも虐待を受ける。
その後奉公に出されるが、その間に実母は養父と内地へ帰ってしまう。
一人サハリンに取り残されたわずか10歳のヨシは
まもなくニコラエフスクに行くが、そこで今度は尼港事件に遭遇、
極寒の中たった一人で二冬を過ごしたという凄絶な体験をしている。

心理学には「母性剥奪(maternal deprivation)」という言葉があるが、
ヨシの例などはまさにこれにあたるのだろう。
乳幼児・児童期に親などから適切な接し方を受けなかった養育者は
心身に重大な障害が生じ、
長じて自身が親となってからも子どもへの適切な接し方が分からず、
しばしば虐待の連鎖の一要因となることが分かっているし、
最近では福井大の友田教授らの脳神経科学的知見によっても、
被虐待者が認知や判断において重大な障害を抱えやすいことが
明らかになっている。

http://repo.flib.u-fukui.ac.jp/dspace/bitstream/10098/4749/4/%E5%8F%8B%E7%94%B0%E5%85%AC%E9%96%8B%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9Adoc.pdf

やがて永山と3人の姉兄は福祉事務所によって保護され、
青森のヨシの元に送られるが、
ヨシは生活の為行商の仕事に追われ子どもの面倒を見ることなく、
永山は兄妹たちによって育てられる。
しかし、同時に兄たちの暴力、虐待にも曝され続け、
家出や万引き、自殺未遂を繰り返すことになる
(兄たちが集団就職等で家を出たあとには
今度は永山自身が妹や姪に暴力をふるっていたそうだ)。
永山は小学から事件を起こすまでの約10年ほどのあいだに、
実に19回もの自殺未遂を起こしていたそうだ。
こうした抑うつ傾向も被虐待者にはよく見られることだと、
今日では言われている。

そうした永山にとって唯一の心の支えになっていたのは、
永山が4歳になるまで網走で面倒を見てくれた長姉セツだったが、
セツは徐々に左前になっていく家庭の状況から婚約が破談になり、
身ごもっていた子を下させられたことで統合失調症を発症、
網走の病院で5年間入院することになる。
退院後、家族のいる青森へ移ったセツは、
小学生になっていた永山の勉強を見るなどして
甲斐甲斐しく世話をするが、
やがて近所の男性との間にできた子を下させられたりしたことで
病が再発、以降、生涯入退院を繰り返していたようだ。
当時はまだ精神障害の遺伝という優生学的な考え方が優位で、
セツの子が下ろされた背景にはそういった事情もあったのではないかと
著者・堀川さんは書いている。

永山の犯罪は彼の逮捕直後から長らく、
「貧困が産んだ犯罪」と言われてきた。
それは事件がちょうど高度成長期の真っただ中、
学生運動が最も盛んだった時期に起こったことと
無縁ではないと思うが、
精神科医の石川義博さんによる精神鑑定記録と録音テープを
元にしたこの本を読んでいると、
果たして本当にそうだったのだろうかという疑念が頭を擡げてくる。

勿論、貧困が虐待を引き起こす重要な要因の一つであることには
異論はないが、
虐待は必ずしも貧困によってのみ引き起こされるわけではない。
そこではむしろ、仏の社会学者P.ブルデューが、
文化資本」という概念を使って指摘していたとされていることが
深く関わってるように思える。
文化資本もまた貧困との相関性は否定できないが、
必ずしも貧困とのみ結びついているわけではないからだ。
児童虐待の相談件数が67000件近くに及ぶと言われる昨今、
こうした認識は重要な気がするし、
その意味で、本書が永山事件の核心を永山の虐待体験、
あるいは家族関係に観ようとしたことのアクチュアリティーは
大いに評価されるべきだと思う。