林海象監督の新作『弥勒』を観てきた。
『弥勒』
今日から31日までにわたって
「海象ノワール」と銘打って林監督の特集が開かれていて、
『弥勒』もその一環として、
幻の短編映画『乙女の祈り』とともに上映、
今日は林監督と主演の一人・永瀬正敏さんのトークショーも
上映後に行われていたので参加してきた。
『弥勒』は「新世紀映画」と銘打たれている。
トークショーで林監督がおっしゃっていたが、
映画が誕生して130年が経つ。
その間、様々な映画人・運動が現れては消えてきたが、
恐らく最初は面白いからこそ撮っ/見ていたはずだろう。
しかし、スタジオシステムや
監督/助監督といったヒエラルキーの成立などとともに、
映画は次第にビジネス化していき、
純粋に楽しめるものからは徐々に遠ざかっていったという。
林監督自身、昔は現場でスタッフを怒鳴り散らしていたそうだ。
そうして、一世紀以上を経た今、
映画は新しく生まれ変わらなければいけないと、林監督は言う。
ではどう生まれ変わるか?
林監督によれば、それは原点回帰、
すなわち、映画がその制作過程をも含めて楽しいものであること、
大変さもありながら、
作り手にとっても観衆にとっても楽しめるものに戻ることこそが、
新しい映画には必要ではないかと提唱していて、
その主張には大変共感できるものがあった。
『弥勒』は、そうした林監督の主張の実践である。
その実践を可能にしたのは、林監督の教え子でもあった、
京都造形芸術大学映画学科の90人の学生たちだった。
永瀬さんを筆頭に、佐野史郎さん、井浦新さんなど、
この作品には何人かのプロの俳優、映画人も関わっているが、
主になって動いたのは学生たちであり、
プロ/アマ(学生)関係なく、非主従的な関係性を志向する中で、
まさに楽しみながら作るというのが、
この映画の、制作におけるコンセプトだったらしい。
そしてその題材となったのは、
監督が十代の頃から構想を温めてきた
稲垣足穂の小説『弥勒』だった。
稲垣足穂の小説を、僕はまだ読んだことがない。
かつて三島由紀夫が、
現代文学の作家で本当に凄いのは埴谷雄嵩と稲垣足穂だ、
それに比べれば自分などまだ足元にも及ばない、
というようなことを言っていたらしいが、
パンフに載っていた佐野史郎さんのコメントによれば、
6~70年代頃の(アングラ?)演劇人の間では、
純真さという点において宮澤賢治とも対比されたという
(佐野さんいわく、賢治は土着的、足穂は鉱物的だそうな)。
映画は原作にほぼ忠実なようなので、
その純真さもうかがい知ることができたような気がする。
『弥勒』は、13歳の少年・江美留が、
友人の一人を自殺で失うところから始まる。
哲学者や詩人など、友人たちは皆将来の夢を決めてる中で、
ただ一人将来の夢を決めかねている江美留は、
亡くなった友人を偲んで、
他の友人たちと四人で天文台へ向かう。
そこで望遠鏡を覗いてる老天文学士(ちなみに四谷シモンさん)に
「そこから何が見えるのですか?」と問いかけるが、
「教えてくれないか。僕たちは何処から来て、何処に行くのかを?」
と逆に聞き返されてしまう。
友人たちと宇宙を見上げた江美留はそこではっと気づき、
小説家になることを決意する。
数十年後、小説を書き続ける大人になった江美留は、
原稿を質に入れて酒代をようやく工面するような、
極貧の生活をしている。
少年の日の夢は本当に正しかったのか。
アルコールに浸り切りながらそう思い悩む江美留の下に、
井浦さん演じる鬼が現れ、
「お前の目指す人間とは何か?」と問いかける。
江美留は少年の日に写真で見た弥勒菩薩の姿を思い起こし、
56億7千万年後に釈迦牟尼の説法から漏れた人々を
救いに来るというその弥勒とは、
まさに自分自身のこと、
あるべき自分自身の姿になることではないかと思い至る。
自分の生きてきた道は果たしてこれでよかったのか。
ある程度年齢を重ねてくれば、そう思い悩むことは、
恐らく誰しもにあるのではないだろうか。
また、少年の日に、みんなは進路を決めてるのに、
自分だけ決まっておらず、悶々とすることも。
あるべき自分自身の姿になる、
C.G.ユングはそれを「個性化の過程」と呼んでいたが、
芸術や宗教、延いては人間の生の目的とは、
結局はこの「個性化の過程」ということに
尽きるのではないかと思う。
ユングは「個性化の過程」を中世錬金術の過程に見立て、
黒化、白化、赤化という過程を経て、
ひとつの結晶的なものが出来上がるというイメージを
提唱していた。
黒化とは死や腐敗、浄化を意味するが、
今回の撮影にあたって、監督は主演の永瀬さんに、
主人公の役について、
「どん底を知ったものにしか、世の中は変えられない」という
アドヴァイスを送っていたということで、
なにか通じるものがあると思った。
短篇『乙女の祈り』のほうも、実験的でありながら、
ひとつの卵から足が根になったうら若き女性が生まれてくる
というファンタジックな内容で、
非常に面白かった。
『弥勒』もそうだが、やはり白黒画面が、
観る人の想像力を掻き立ててくれるところはあるのだろう。