ルイ・マル監督の映画『鬼火』を観た。
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原作はフランスの対独協力者(コラボラシオン)として知られた作家
ピエール・ドリュ=ラ=ロシェル。
ドリュ=ラ=ロシェルは極右団体アクション・フランセーズにも属し、
ナチス治下のヴィシー政権に協力した廉でレジスタンスに追われ、
第二次大戦終結直前に自死している。
この作品はそんなドリュ=ラ=ロシェルの孤独感を
強烈に反映していて、
ドリュ=ラ=ロシェルとは恐らく政治的主張を異にする
ルイ・マル監督も、
主人公のそうした孤独感に惹かれたんだろうと思う
(解説によるとマル監督がこの作品を撮るきっかけになったのは
友人の自死だったとか)。
かつてはパリの社交界に名を馳せたアラン。
だが今はアルコール依存症の治療で入院中の上、
アメリカ人妻のドロシーとは離婚寸前。
愛人関係にあるアメリカ人実業家リディアからは
アメリカに来るよう誘われるが、なぜかそれも断ってしまう。
その後院長の許可を得て外出したアランは、
かつての知り合いを訪ね歩くが、その俗物ぶりに失望し、
拳銃で自死してしまう。
自死あるいは自殺は洋の東西を問わず、
恐らく文学の主要なテーマの一つだろう。
漱石の『こころ』をはじめ、
文学者は作品中の数々の登場人物を自死させ、
また、時には自らをも自死へと追い込んできた。
文学者たちはなぜ自死を選ぶのか。
様々な事由はあるにせよ、一言で言ってしまえばそれは、
「行き止まり」にぶつかったから、ということに他ならない。
真面目に、真摯に生きてゐる人間ならば、
きっと一度くらいは「行き止まり」にぶつかるものだろう。
この映画の主人公アランも、まさしくそんな人物だったに違いない。
しかし真摯に生きることがいつも最善の結果をもたらすとは
限らない。
時には柳の枝のように、柔らかく生きることも必要だろう。
特に、アランのように青年から壮年へと移行しようという時期には、
人は得てして様々な苦難に遭遇し、
心理学の分野では「中年期の危機」とも呼ばれている。
殊「自殺大国」とも言われている今日の日本では、
この中高年層の自殺率が世界的に見ても高いのが特徴だと
されている。
最近では若年層の自死も増えていて、
アランの抱えるような虚無感に
強く共感する人もいるかもしれない(僕も少し共感した)。
一般に、若年層の自死は途上国に多い傾向があるとされるが、
日本でもそうした層の自死が増えてきたということは、
ここ20年ほどの日本社会の実相を
象徴的に示しているのかもしれない。
アランの選択は正しかったとは言えないかもしれない。
いや、たぶん、正しくはないだろう。
それは原作者であるドリュ=ラ=ロシェルの
言動(反ユダヤ主義とか)や死についても言えることだが、
彼らが彼らなりにその生に真摯に向き合おうとした事実は、
正しく評価されてしかるべきように思う。