アキ・カウリスマキ監督『過去のない男』を観た。

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人間は、どこからが「自分」で、

どこからが「自分」ではないのだろう?
いずれにしても、
「自分」であることを支えているのは

紛れもなく「自分」の記憶であろうし、
それなくしては人は「自分」としては

生きてはいけないように思う。

名前、生年月日、住所、職業、家族や友人の記憶。。
いくら行政機関にそれらが登録されていようと、
それが「自分」のものであるという確かな実感が伴わなければ、
人はまさにその人として生きることはできないのではないか。


列車から降り立った男。

その男がいきなり暴漢に襲われ、記憶と金銭を奪われる。

再び目が覚めた時、男は病院の中だったが、

なぜかその病院を抜け出し、

失業者たちが集まる海辺のゴミ集積所にたどり着く。

そこで出会ったのが、救世軍の給仕係イルマだった。

男はイルマに恋をし、自分の記憶がないことを打ち明ける。


カウリスマキ監督は

日本の小津安二郎監督から多大な影響を受けたことでも

有名である。

冒頭、主人公の男がいきなり暴漢に襲われるという、

非日常的な事件は起こるが、

全体的に見れば小津映画の諦念漂う日常にも通じるような、

当時のフィンランドの日常、

カウリスマキ監督にとっての「日常」が淡々と描かれる。

それはまるで一編の、光と影との詩のようでもある。


しかしそうした「日常」の中にも、

当時(おそらく80年代?)のフィンランドの過酷な状況が

的確に描かれている。

不景気により増加した失業者は海辺のゴミ集積所へ追いやられ、

国の福祉行政(社会保障番号)につながっていなければ

まともに職にありつくこともできない。

これはもしかしたら明日の日本の姿かもしれない。


とはいえ映画自体はコメディー的要素を多く持った、

ハートウォームな物語である。

僕はなんとなく、

R.カーヴァ―の短編『ダンスしないか』を連想した。



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