長らく読んでいた松本健一さんの新書

『日本のナショナリズム』をようやく読み終えた。

日本のナショナリズム (ちくま新書)/筑摩書房
¥734
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本書で松本さんは、1853年の黒船来航以来、幕末から明治維新、

そして大日本帝国憲法発布(「第一の開国」)へと、

近代国民国家・日本創成の原動力ともなったナショナリズムを

正当に評価しながら、

その曲がり角を1919年の「対支二十一カ条の要求」に見、

現在を、「第二の開国」(敗戦)に続く、

第三の開国」が要請されている時期と見なして、

近代イデオロギーとしてのナショナリズムを克服する必要を説き、

そのための手法として「共同の家」や「東アジア共同体」の創設を

主張している。


日本が外圧によって国家体制をアップグレードしてきたことは

よく指摘されているが、

本書が出た2010年は尖閣沖漁船衝突事件があった年であり、

また、日本は言うに及ばず、最近のロシアとウクライナの関係や、

イスラエルによるガザ地区への攻撃といった問題を見ても、

ナショナリズム克服の必要性を説く、例えば次のような文章は、

極めて先見的で示唆的だと思う。


 ナショナリズムには、一つの民族が独立国家をもち、国民主権の体制であるということにおいて、とてもきらびやかな、血沸き肉躍る要素もある。だから、どの民族もみんなナショナリズムを思想としてもつことによって、一国家として独立したいと思うのだが、しかし、みずからとは別のネーションに無理やり組み入れられた国や民族は厳しい仕打ちを受けることになる。民族独自の言語をもっていても、別の「国語」の国に入って、「これが国語ですよ」と言われたら、それを使わざるを得ない。だからこそ、一民族、一言語、一宗教、一通貨を理想とする近代ナショナリズムを超えていく方法を、われわれはこれから考えていかなければならない。


松本さんはさらに、冷戦崩壊以降の国際関係の力学的変化を、

ウェルス(富)・ゲームからアイデンティティー・ゲームへの転換

と見なし、

昨今の中国や韓国の対日姿勢をそうしたゲーム上の規則、

すなわちナショナル・アイデンティティーの再構築の一環とし、

日本と比べ近代国民国家としての歴史が比較的浅い

これらの国に先んじて、

日本こそが東アジアにおけるナショナリズム克服の先鞭を

つけるべきだと主張していて、

9・11~イラク戦争以降、主にユーゴ紛争のことを考える中で、

世界がいわゆる東西対立からナショナリズム同士の対立、

あるいはナショナリズムとコスモポリタニズムの対立として

考えるようになった僕としても、非常に共感できる気がした。


国民国家あるいはナショナリズムという枠組みは、

たしかにある時期においては大きな役割を果たしたとは思う。

しかし、日本を含め近年の世界情勢の在り様は、

まさしくその限界を如実に示しているように思う。

その解決策として提示された、

戦間期リヒャルト・クーデンホーフらの思想に起源をもつ

ヨーロッパ連合(EU)もまた、

最近ではヨーロッパ各国での右翼の台頭などで

危機に瀕していると言われている。

その意味で僕らは、EUを参考にはしながらも、

それとも違う新たな形でのナショナリズム克服への道筋を

描かなければいけないのだろう。


それには松本さんも指摘しているように、

ロシア革命期の詩人エセーニンの


天国はいらない、ふるさとがほしい


という言葉に象徴されるようなパトリオティズム(郷土愛)が、

特に3・11以降の現状を鑑みると、

大きな役割を果たすような気がする。