教育テレビで、
『日本人は何をめざしてきたか 知の巨人たち』の2回目、
『ひとびとの哲学を見つめて―鶴見俊輔と「思想の科学」』を見た。
http://www.nhk.or.jp/postwar/program/schedule/
終戦の翌年、
鶴見俊輔の姉で後に社会学者になる和子を中心に、
哲学者の俊輔、経済学者の都留重人、
思想史家の丸山眞男、武田清子、
理論物理学者の武谷三男、渡辺慧ら
7人の同人により創刊された雑誌『思想の科学』。
戦前戦中への反省と敗戦の経験の上に立ち、
安保やベトナム戦争といったその時々の問題を
俎上に載せ続け、
96年に惜しまれながら休刊してしまったとはいえ、
間違いなく、
戦後社会の思想形成の一翼を担っていたと言えるだろう。
番組はこの雑誌の編集を担った中心人物、
哲学者・鶴見俊輔とのかかわりを中心にしながら、
この雑誌に拠った人々へのインタビューで構成されていた。
中でも、有名な「転向」研究や「ひとびとの哲学」コーナーなど、
斬新な、それでいて鶴見らしい試みの内容を、
詳しく知ることができてよかったと思う。
そもそも哲学者・鶴見俊輔という人は、
戦前にハーバードに留学して
分析哲学の大家W.O.クワイン の薫陶を受けた人だ。
鶴見の「思想は使うためにある」とか「ひとびとの哲学」という
言葉、発想のなかには、
「ホーリズム」などクワインの考え方からの影響が
強く見て取れるように思う。
実用主義とも訳され、
パースやジェイムズ、デューイに起源を持つ
こうしたプラグマティズムは、
今の日本の思想界に最も必要なものなんじゃないかと
僕は思っている。
ところで番組の中に野添憲治が出てくる。
秋田では(全国でも?)知られたノンフィクション作家で、
野添といえば「花岡事件」だろう。
1945年6月30日、秋田県北部の旧花岡鉱山(現・大館市)で、
苛酷な労働環境に耐えかねた中国人労働者たちが蜂起・脱走し、
出動した憲兵たちによって捕縛、
400人以上が殺害された事件だ。
実は僕の親族もこの事件の目撃者で、
当時国民学校低学年だったその人の話によれば、
平日なのに授業を半ドンにして町の中心部に集められ、
捕縛された中国人たちに罵声を浴びせ投石するよう、
周囲の大人や憲兵たちに言われて、
泣く泣く投石したという。
他にも色々な話を聞いたが、とにかく戦争の記憶は、
一人の名もない人物の記憶の中にさえ、
そのように息づいている。
「ひとびとの哲学」はおそらくそのようなところから
産まれ出てくるのだろうし、
そうした「声なき声」を具に<聞く>ことこそが、
戦争を実際には知らない僕らに課された使命だろうし、
それ以外に戦争を避ける方法はないのではないかと思う。