教育テレビで

『日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち』の

一回目の放送を見た。



http://www.nhk.or.jp/postwar/program/schedule/



戦後の原子力政策の展開について、

湯川秀樹や武谷三男といった科学者や

彼らの所属した日本学術会議、

中曽根康弘ら原子力政策を推進してきた政治家たちの

動向を中心に紹介していた。


いろいろと面白い点はあったが、

中でも興味をひかれたのは三村剛昂 という、

当時広島大学の教授であった一人の科学者のこと。

調べてみると、下のブログにこんな発言の紹介があった。


http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-3531.html


・私は原爆をよく知っている。その死に方たるや実に残酷なもの


・発電、発電と盛んに言われるが、政治家の手に入ると、25万人がいっぺんに殺される


・米ソのテンション(緊張)が解けるまで、いな(否)世界中がこぞって平和的な目的に使う、こういうようなことがはっきり定まらぬうちは日本はやってはいかぬ。こう私は主張するのであります


・原爆の惨害を世界中に広げることが日本の武器。文明に乗り遅れるというが、乗り遅れてもいい


・だからわれわれ日本人は、この残虐なものは使うべきものでない。この残虐なものを使った相手は、相手を人間と思っておらぬ。相手を人間と思っておらぬから初めて落とし得るのでありまして、相手を人間と思っておるなら、落とし得るものではないと私は思うのであります。ただ普通に考えると、二十万人の人が死んだ、量的に大きかったかと思うが、量ではなしに質が非常に違うのであります。しかも原子力の研究は、ひとたび間違うとすぐにそこに持って行く。しかも発電する―さっきも伏見会員が発電々々と盛んに言われましたが、相当発電するものがありますと一夜にしてそれが原爆に化するのであります。それが原爆に化するのは最も危険なことでありまして、いけない


すでに1952年の時点でこのようなことを言っていた科学者が

この日本にいたということは、非常に誇らしいし、

感服せざるを得ない。

番組でも紹介されていた武谷三男の指摘通り、

技術はいったん生まれてしまえば不可逆的に使用されていく

という現実は否めないものの、

三村のこのような理想主義的な考え方そのものを、

僕は根本から批判することができない。

むしろこのような理想を現実と付き合わせていくことにこそ、

より広く公共の利益となりうるような政策の進め方が

可能になるんじゃないかと思う。


ところで、軍事に転用するにせよ平和利用するにせよ、

核技術を最初に利用しようと考えたのは

ヒトラーのナチスドイツだった。

そのナチスに協力したことでも知られる哲学者M.ハイデガーが

核技術の利用に懐疑的だったことは、

以前、哲学者の國分功一郎さんの記事 を紹介する形でも

書いたと思うが、

三村のことを考えるとき、僕はどうしてもこの、

ハイデガーの一連の指摘を連想する。


國分さんは、

ハイデガーの理想とする社会は中世ヨーロッパのような社会で、

科学的にも政治的にも技術が進んだ現代社会で

ほんとにそんな生活ができるのかというようなことを、

著書『暇と退屈の倫理学』でも指摘されていたが、

國分さんも指摘されているように、

ハイデガーとは違う仕方で新たな社会の在り方を

僕たちは模索していくべきだろうし、

原子力政策の在り方も、その是非も含めて、

そうした新たな社会像との連関の中で

構築されていかなければいけないのではないかと思う。


『日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち』、

次回は戦後思想界の巨人、

鶴見俊輔先生が取り上げられるようなので、

心して見たいと思う。