SNSを通じてこんな詩に出会った。
潮の匂いは世界の終わりを連れてきた。僕の故郷はあの日波にさらわれて、今はもうかつての面影をなくしてしまった。引き波とともに僕の中の思い出も、沖のはるか彼方まで持っていかれてしまったようで、もう朧気にすら故郷の様相を思い出すことはできない。
潮の匂いは友の死を連れてきた。冬の海に身を削がれながら、君は最後に何を思ったのだろう。笑顔の遺影の口元からのぞく八重歯に、夏の日の青い空の下でくだらない話をして笑いあったことを思い出して、どうしようもなく泣きたくなる。もう一度だけ、君に会いたい。くだらない話をして、もう一度だけ笑いあって、サヨナラを、言いたい。
潮の匂いは少し大人の僕を連れてきた。諦めること、我慢すること、全部まとめて飲み込んで、笑う。ひきつった笑顔と、疲れて丸まった背中。諦めた。我慢した。“頑張れ”に応えようとして、丸まった背中にそんな気力がないことに気付く。どうしたらいいのかが、わからなかった。
潮の匂いは一人の世界を連れてきた。無責任な言葉、見えない恐怖。否定される僕たちの世界、生きることを否定されているのと、同じかもしれない。誰も助けてはくれないんだと思った。自分のことしか見えない誰かは響きだけあたたかい言葉で僕たちの心を深く抉る。“絆”と言いながら、見えない恐怖を僕たちだけで処理するように、遠まわしに言う。“未来”は僕たちには程遠く、“頑張れ”は何よりも重い。お前は誰とも繋がってなどいない、一人で勝手に生きろと、何処かの誰かが遠まわしに言っている。一人で生きる世界は、あの日の海よりもきっと、ずっと冷たい。
潮の匂いは始まりだった。
潮の匂いは終わりになった。
潮の匂いは生だった。
潮の匂いは死になった。
潮の匂いは幼いあの日だった。
潮の匂いは少し大人の今になった。
潮の匂いは優しい世界だった。
潮の匂いは孤独な世界になった。
潮の匂いは――――――――。(片平侑佳さん『潮の匂いは。』)
石巻西高校 文芸部
片平侑佳『潮の匂いは。』
http://www.inisi.myswan.ne.jp/club/literary/index.html
片平さんのこの詩は一昨年、
高校文芸部の総体とも言える全国高校文芸コンクールで
見事入選したもののようだ。
余談ながら僕も高校の時にこのコンクールに入賞し、
吹雪の中、文芸部顧問の先生と新幹線で、
代々木まで行った思い出がある。
それはそうと、片平さんの作品について。
あの津波を身近に体験し、その中で、
その後の怒涛の日常を過ごさざるを得ない人たちの心情の、
ほとんどすべてが、この中には詰まってるんじゃないかと思う。
故郷が津波に襲われた日常を体験していない僕などには、
決して書けない詩だし、まさに当事者の声と言える。
が、それだけに、同時に危ういものも孕んでいる。
どこの被災地であれ、またどんな災害の被災者であれ、
「当事者の声」は一様ではないし、
被災していない者は
「当事者の声」から多様な「騒めき」を聴き取る耳を
持たなければいけない。
そういう意味でこれは非常に高度な詩だし、
その高踏さに果たしてどれだけの人がついてこれるかというと、
一抹の不安が残る。
片平さんもその点は自覚していて、それが、
無責任な言葉、見えない恐怖。否定される僕たちの世界、生きることを否定されているのと、同じかもしれない。誰も助けてはくれないんだと思った。
という、
被災地(者)の強烈な孤独感を感じさせる言い回しで
表現されている。
ともあれ片平さんのこの作品そのものは
非常に良いものだと思う。
昨年の3月に高校を卒業されてるということで、
今はどこでどうされてるのかわからないが、
願わくばこれからもずっと、
「自分の詩」を書き続けてほしいと思う。