手元には一冊の雑誌がある。

2005年2・3月号の『広告批評』。



 一つの事件が、片方から見ると「NHK番組改変問題」となり、もう一方から見ると「朝日新聞虚偽報道問題」となる。だから、ネーミングはこわい。ま、どっちの言い分が正しいのかはまだわからないが、いちばんの問題は「NHKに政治介入があったかどうか」ということだ。で、これもまた、いまはまだ藪の中だが、なんとなく「介入があったんじゃないの?」と思えてしまうのは、「テレビは政治問題から腰がひけている」というのが、いまや世間のジョーシキみたいになってしまっているからだろう。

 政治家にイチャモンをつけられてゴタゴタするよりは、お笑い番組をせっせと作っているほうが、たしかに安全だし、楽だし、視聴率もとれるし。となれば、なにもわざわざ危ない橋を渡ることはないじゃんかと。いま、多くのテレビマンは思っているんじゃないだろうか。

 「一国のテレビの番組は、その国の文化度を広告している」とは、よく言われることだが、お笑い番組を乱造することでいいお笑い芸人たちの才能を乱費し、韓流が当たればあたりいちめん韓国ドラマだらけになるいまのテレビは、いったいこの国の何を広告していると言えばいいのか。



コラムニストで、

『広告批評』の編集者・発行人でもあった天野祐吉さんが

手がけていた名物コラム「今月の広告時評」の全文だ。

批評の本質的なところは、8年を経た今でも、

十分色褪せてはいない。

3・11以降、

テレビが「政治問題から腰が引けている」状況は一層、

加速しているような気がするし、

お笑いの状況に関して言えば、

奇しくもこのときの天野さんの危惧は

現実のものとなってしまっている。



その天野さんが亡くなった。

http://digital.asahi.com/articles/TKY201310200289.html?iref=comkiji_redirect



4月の島森路子さんに続き、

今年は失うには余りに惜しい方たちが逝きすぎる。

天野さんも島森さんも、その鋭い批評眼には、

僕も全幅の信頼を置いていただけに、

時代の羅針盤を失ったような心持ちがする。


もちろん、時間は流れていく。

一度この世に生を受けた人たちは必ず亡くなる。

だからこそ、先人たちの精神を受け継ぎ、

それを次代に託すバトンリレーは必要なのだろう。

特に、混迷を極めるこんな時代には。


天野祐吉さんのご冥福をお祈りします。