えんじゅです。

名古屋にいる大学時代の友達が

被災地を見たいということで、

現地石巻にいる別の友達の案内で、

昨日今日と、石巻・女川方面に行ってきました。

ちょうどお盆で、墓参に戻って来た方々や、ボランティア、

そして僕らのような「観光客」の姿も大勢見かけました。


旧石巻市街・門脇小学校
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津波が押し寄せた門脇小学校。

この場所で死者は出なかったようですが、

流れてきた瓦礫についていた火で校舎が焼け焦げました。


http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20120223ddm041040195000c.html


現在は保存を望む声と解体を望む声双方があり、

決着がまだついていません。

ただ、校庭での体育授業や部活動などは再開されてて、

生徒への精神的影響を考えて、

校舎にはカバーがかけられていました。


Coccoさんが千羽鶴をかけた校舎前の木は

半分切られてました。


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旧女川町立病院(現・女川町地域医療センター)前より

女川の中心部を望む


えんじゅのサボテン日記

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NHKでやってたドラマ『ラジオ』の舞台にもなってた女川。


http://onagawafm.jp/archives/7403


ドラマの主人公・某ちゃんのブログは震災直後、

僕も読んでて、

当時瓦礫の受け入れで全国的に騒がれてた中で、

地元の人の複雑な思いがダイレクトに伝わって来ましたが、

それが不幸にも瓦礫受け入れ反対派への批難と誤解され、

某ちゃんのブログが炎上、

その後、某ちゃんはブログを非公開にしてしまいました。

地元の当事者の声に触れられる貴重な場を失ってしまったことは、

この社会にとっての損失だったと、

今でも悔やまれてなりません。


他にも全校生徒108人のうち74人もの児童が死亡・行方不明、

教師10名と運転手1名の命も失われた石巻市・大川小学校や、

旧雄勝町(現・石巻市雄勝)の総合支所跡なども訪れましたが、

とても写真など撮る気にはなれず、

画像は残してません。


地元被災地にいる僕などは毎日のように

メディアで震災に関する報道を目にするので、

今回の石巻・女川行は

全体的には知ってることの再確認でしたが、

被災地以外あるいは東北以外では

震災に関する報道は極端に減ってるのが現状でしょう。

原発に関するニュースは常に話題になりますが、

震災そのものからの復興状況が

被災地以外にはほとんど知られていないというのは、

今回一緒に行った友人はじめ

僕のまわりでも結構聴くような気がします。


そういう意味で、僕も被災者の一人として、

そういった現状を伝えることに少しでも役に立てればなぁと、

改めて思った旅でした。