えんじゅです。
先日のボストンマラソンでの爆破事件で、
ロシア・チェチェン付近出身の兄弟が
容疑者として注目されてるようです。

ロイター
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK065953920130419

チェチェンは周知のように、
90年代くらいからロシアからの独立運動が盛んになってきた地域です。



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チェチェン共和国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

運動そのものは元々帝政ロシア時代からあったものですが、
旧ソ連はチェチェンに限らず民族主義を弾圧したため、
そうした怨みもあってソ連崩壊の前後くらいから独立運動が広がり、
ソ連の後を継いだロシアとも幾度か戦火を交えてきました。

ロシアとの度重なる紛争が表向き終結した後も、
独立派によるテロがモスクワを中心に相次いでおり、
記憶に新しいものでは2002年のモスクワ劇場占拠事件、
2004年モスクワ地下鉄爆破事件、
ベスラン学校占拠事件などがありますが、
イスラム教徒(ムスリム)が多いため、
近年はアルカイダを中心とした国際的なテロ組織とも
ネットワークを築いてると言われています。

もちろん、チェチェンに限らず、
多くの人々の生命や生活を脅かすこうしたテロ行為は
決して許されるべきものではありません。
ボストンのテロでも3人の方が命を落とし、
命は助かっても、手足などを失い、
それまでの生活が一変してしまった方も多くいると思います。
こうした現実がある以上、テロ行為は許すべきではありません。

しかし一方で、
自分の家族や属する社会の尊厳や自立が脅かされてる時に
こうしたテロリズムに駆られる動機や衝動といったものには
理解を示さなければいけないと、僕は思います。
50年以上もイスラエルによる弾圧・迫害が続いている
パレスティナをはじめ、
ボストンのテロと同日に爆弾テロが起こったイラクなど、
テロを生み出す大きな要因のひとつである
世界的な格差というものからは目を逸らすべきではないと思います。
そうしなければ、テロはこの世から永遠になくならないでしょう。

今からちょうど150年前、
ロシアの文豪トルストイは『コサック』という小説を発表し、
ロシア人将校とチェチェンの少女との心の交流を通して、
こうした政治的な問題の、
ヒューマニズムによる解決を図ったといいます。

コサック: 1852年のコーカサス物語 (光文社古典新訳文庫)/光文社

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この小説は1996年ロシアのセルゲイ・ポドロフ監督によって、
舞台を現代に移し、『コーカサスの虜』として映画化もされています
(僕の大好きな作品のひとつです)。

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また自身もチェチェン近隣の北カフカスの生まれで、
2008年に物故したロシアのノーベル賞作家A.ソルジェニーツィンは
生涯こうしたチェチェン人に対する共感を示していたとも言います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%B3#.E3.83.81.E3.82.A7.E3.83.81.E3.82.A7.E3.83.B3.E5.88.86.E9.9B.A2.E7.8B.AC.E7.AB.8B.E9.81.8B.E5.8B.95.E3.81.AB.E4.B8.8E.E3.81.88.E3.81.9F.E5.BD.B1.E9.9F.BF

ヒューマニズムであれ独立運動への共感であれ、
いずれにしろこうしたテロの抑止に必要なのは、
国内の格差問題と同様、
民族や人種や国籍を超えた個人の尊厳であり、
自治の精神の尊重ではないかと僕は思います。

かつて福沢諭吉は

一身独立して一国独立す

と言ったといわれますが、
ではどうしたらその「一身独立」が得られるか。
僕はやはりそれは日本国憲法に示されてるように、
「不断の努力」によってでしかないのではないかと思います。

日本国憲法第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


オバマ大統領はボストンでの演説で、
亡くなられた3人の方々の名前を上げ「テロに屈しない」と
言ったそうですが、
本当にテロに屈しないつもりなら、
まずはこうした人権を守る仕組みづくりを世界的に、
そして具体的に進めていくべきではないかと思います。