えんじゅです。
3日間ほど、東京へ行っておりました。
目的は前回と同じ、美術展めぐりです(笑)
今回見てきたのはこの3つ↓
世田谷美術館
『エドワード・スタイケン モダン・エイジの光と影 1923-1937』
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
東京都美術館『エル・グレコ展』
東京国立近代美術館『フランシス・ベーコン展』
スタイケンは20世紀前半アメリカで活躍した写真家、
エル・グレコはギリシア・クレタ島の出身で
16~17世紀スペインで活躍した画家、
フランシス・ベーコンは20世紀イギリスを代表する画家の一人。
それぞれ一見何の共通点もありませんが、
感じたのは彼らそれぞれが、
何かから何かへの移行を表現していたということでしょうか。
今日のファッション誌などにも通じる商業写真を
芸術の域にまで高めたスタイケン、
世俗化した宗教を芸術を通じて革新しようとしたエル・グレコ、
そして、まさに何かから何かへの移行を生涯描き続けたベーコン。
移行はまた、生成変化でもあります。
古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは
「万物は流転する」
と言いましたが、移行=生成変化は物事の本質でしょう。
こうした移行=生成変化は日本では仏教的な無常観とつながりますが、
震災以降、特にこの東北で暮らすことは、
この無常観と直面して生きることでもあるように思います。
無常はそのまま、容器としての「時間」を感じさせます。
空っぽの「時間」の果てしなさ、寄る辺なさ。
20世紀以降の哲学や芸術は、こうした時間のあり方を描き、
考察してきたと思いますが、
それはそれだけ戦争や災害のもたらしたものの存在感を示しています。
災禍が大きければ大きいほど、
「時間」の存在感はいや増していく。
そうした「時間」を前にしては、僕らのできることはただ、
「祈る」ことでしかありません。
だからこそ20世紀の重要な作家の一人であるフランツ・カフカは
「祈りの形で書く」
と言っていたのではないかと思います。
今回の作品の中ではエル・グレコのものが特に、
そうした「祈り」を感じさせましたが、
スタイケンの写真ですらも、
「平穏な日常が続いてほしい」
というひとつの祈りが籠められていたと思います。
商業写真という形式であるからこそなおさら
そう感じたのかもしれません。
ともあれいずれの展示もとてもすばらしく、
みなさんも時間があればぜひ、ご覧になってみてください。