えんじゅです。
睡れずに、
昨年観たイリヤ・レーピン展の図録を引っ張り出してきて観ています。
イリヤ・レーピンは19世紀ロシアを代表する画家です。
帝政末期からソヴィエト時代初期のロシア民衆の姿を、
激動する時代・社会を背景にリアルに描いていきました。
中でも『ヴォルガの船曳』は
貧苦に喘ぐ当時のロシア民衆の姿を正確に描いていて、
高校世界史の図表で出会って以来、
僕のレーピン好きのきっかけになった作品でもあります(*^▽^*)
レーピンにはほかにも、
帝政末期の流刑者の突然の帰還を描いた
『思いがけなく』といった作品もあります。
これは革命的インテリゲンツィア(知識人階級)として
ナロードニキ運動に関わりシベリアに流刑されたらしき男が、
ある日突然、自宅に帰ってきたときの様子を描いたとされます。
ナロードニキというのは一種の民衆啓蒙運動で、
西欧に比べて経済的工業的に大きく立ち遅れていた当時のロシアで、
学生中心のインテリ層(学生であること自体がすでにインテリでした)が
農村へ移住して農民など民衆を教化しようとした運動でしたが、
当の民衆の理解は得られず失敗に終わるばかりか、
政府の弾圧によって多くの運動家がシベリアに流刑され、
命を落としたといわれます。
その意味では1960年代末期に世界中で起きた学生運動などとも
少し似ているような気がしなくもないのですが、
学生運動の運動家たちの多くがそうであったように、
この男もまた、もはや世界や人類の救済などは求めておらず、
残された時間をどう生きれば
自分の命を意義あるものとすることができるかという問いに
ひとつの答えを出し、
胸の内に秘めて帰ってきたのだとされています。
ところで、いったい、時間というのは何なんでしょうか。
最近読んでる宇野邦一さんの『ドゥルーズ 群れと結晶』の影響からか、
僕はこの頃よく、そんなことを考えます。
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思えば20世紀最大の哲学者マルティン・ハイデッカーの主著が
『存在と時間』というタイトルであったように、
20世紀以降の哲学は、時間の哲学でもあったように思います。
それは度重なる戦争や環境問題など、
それまでの時間観=進歩史観がほころびを見せ始め、
それでは立ち行かなくなったということとも深く関係してると思いますし、
名前を挙げればニーチェやベルクソンといった人たちの影響もまた、
非常に大きかったと思います。
例えばニーチェは「永遠回帰」という考え方を表明しました。
これは時間を同じ出来事が繰り返される場とみなし、
それに耐えうる「超人」こそが次代を切り開くと考えました。
ドゥルーズはベルクソンに倣いながらこれを
異なるものの反復(繰り返し)される場と解釈し、
それにそって独特の時間論を展開したとされます(『シネマ2』)。
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僕は個人的にはドゥルーズのこの時間観を採りたいのですが、
いずれにせよ、
9・11や3・11を経験した私たちに今再び突きつけられているのは
この「時間」というものをどう見るか、ということ、
それなのではないかと思っています。