えんじゅです。

昨日、以前にも書いた 仙台の劇団

TheatreGroup“OCT/PASS”の公演『方丈の海』を観てきました!!


http://www.oct-pass.com/pc/


楽日ということもあってか客席は満席。

すごい盛況でした(*^▽^*)


舞台は震災から10年後の東北、

暁浜という小さな入り江の漁港にあった映画館・岡田劇場の跡地。

舞台のセットにしてからがいかにもそれらしく、

ボロボロに破れたスクリーンを蔽う幕や

天井に突き刺さった大漁旗、絡まった魚網・・・

前作『人や銀河や修羅や海胆は』で

実際に被災地を回ったOCTならではの

迫真のセットになっていました。


そのセットの上で繰り広げられる、

映画館の主・岡田一家を中心とした

(中央から取り残された)暁浜(=東北)に生きる人たちの葛藤、

それを喰い物にしようとする興行師や不動産屋・・・。

ひとつの状況が生への意志や憎悪、欲望といった多様な声を生み、

それが渾然一体となって混沌としている今の東北そのものを

如実に映しているような気がして、まさに「東北の声」を感じました。


東京公演などの話もあるようなので、

この舞台はぜひに実現してほしいと思いましたビックリマーク


終演後は打ち上げ&パーティーということで、

僭越ながら参加させていただきました(;´▽`A``

実は今回の公演は箱となった「せんだい演劇工房10-BOX」の

10周年記念公演でもあったようで、

パーティーはその記念としてOCTの主催で行われました。

受付で頂いたチラシには10-BOXの工房長、八巻寿文さんのコメントも。


震災以降「ひとつの中心軸」というものが失われていると感じられてならない。

良い答え、良い視点、良い復興、震災前だったら「ひとつの良さそうな方向性」というものがあったように思えるのは気のせいかもしれない。政治も状況も、未だひとつの良い方向にまとまらない。

震災がもたらしたものは何なのか、それ以前とそれ以後は何がどう変化したのか、といった問いに、ぼくの脳内の小人たちはいっせいに挙手する。しかし、中心が無いため誰に発言をさせたらよいかわからない状態になる。いつもすべてを語れず、陸と海とが交わる沿岸部のように、文化と芸術の渚、発展と衰退の渚、まるで自分のいるところは「渚」だと感じている。


今年で10周年を迎える10-BOXの誕生のキッカケのひとつとなった「演劇人による提言書」を、いつも手元に置いている。提言を取りまとめた代表者、石川裕人氏の肉筆が刻まれた書類だ。

振り返れば、戦後仙台の再開発事業とともに「エル・パーク仙台」や地下鉄が建設された1986年直後、新しい時代に向け身体や劇場に関連する事業が次々に行われた。それらは現在の10-BOXにつながっている。そして、時代とともに石川裕人氏の存在は常に演劇の当事者としてそこに在った。


演劇は、劇作者や演出者の脳内の小人たちを、壇上に上げ、自由な発言を許す。それが演劇にできることだ。ひとつの中心軸が見失われたとき、まさにこの社会を写す「方丈の水鏡」となる。それが演劇だ。


予定では3年後、10-BOXのある卸町に新たな地下鉄が開通するが、世代も社会も移り変わってゆく中、石川裕人という魂の「中心軸」を訴えるその存在は変わらないだろう。


上演中はもちろん、

パーティーの席上で何人かの役者さんや関係者の方々に

お話を伺う中でも改めて感じたことですが、

今回の公演では役者さんそれぞれが、

成長と言ってはおこがましいですが、

ある「生成」を果たしていたような気がします。

OCTの象徴とも言える絵永さんや大山さんといったベテラン勢は勿論、

珍しく悪役?を演じた小川猫雀(びょうじゃく)さんや

χ梨(かいり)ライヒさんなど若手の役者さんたちも、

震災前とは一味違った感触を出していたような気がします。

それが震災という大きな出来事を経た上でのことなのか、

あるいはそれとは関係なく生じてきたものなのかはわかりませんが、

とにかく、何か新しいものになった(なろうとしている)気がしました

(もちろん役柄ということはありますが、それだけではない何か)。


それはまた本編で随処に引用される古典『方丈記』の記述のように、

常に変転していくものでもあるのかもしれません。

東北の行く末と、OCT(石川さん)の劇作と、役者さんの在り方とが、

そこではいわば三重写しになっているのではないでしょうか。


ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

方丈記 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
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ともあれ演劇という<民主的>な装置を用いてできることは何か、

また、古来より演劇との関係が深いとされる政治が今、

東北・被災地にすべきことはなにか、

またそれに対して僕たちには何ができるのか、

振り返ってみてそういったことを問いかける舞台だったように思いますし、

これからの東北の、OCTの、役者さんたちの、そして僕たち自身の、

「良き生成」をこそ期待させる舞台であったと思います(*^▽^*)