えんじゅです。

数日前Twitterにも連投した、

ドゥルーズの、政治についての話。

震災前に何気なく本を読み返していてぶち当たり、

まるで今の日本のことを言ってるようだと思いました。


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 余談として政治の話をひとつ。多くの人たちが、社会党政権に新しいタイプの言説を期待していた。あくまでも現実の運動に近く、この運動を味方につけ、これと両立可能なアレンジメントをつくることのできる言説を期待していた。たとえばニューカレドニア問題。『どちらにころんでも独立だろう』とピザニが明言したとき、そこにはすでに新しいタイプの言説があった。この発言が意味したのは、現に運動が行われているのに見て見ぬふりをしていながら、まさにその運動を交渉の場にもちこむのとちがって、いきなり最終局面をとりあげ、あらかじめ最終局面を容認する観点から交渉をおこなうということです。様態と手段と速度について交渉をおこなおうというのです。だから右派から非難が寄せられたわけです。昔ながらの手順を尊重する右派にしてみれば、たとえ独立は不可避であることがわかっていたとしても、独立という言葉だけはけっして口にしてはならない。なにしろタフな交渉をつづけることで独立の問題を先送りするのが右派の戦術なのですから。かといって右派の人たちが幻想をいだいているわけでもないと思います。彼らが特別に愚鈍なわけではない。運動に反発するところに右派特有の技巧があるのだから、ほかにどうしようもないだけなのです。これは哲学の世界でベルクソンにたいする反発がおこったのと同じで、いずれも似たりよったりの反応です。運動に寄り添っていくのか、それとも運動をストップさせるのか――政治的にはこれがまったく異なるふたつの交渉テクニックとなるわけです。左派の側では、交渉のテクニックが新しい話し方をもたらす。説得することはそれほど重要ではなく、クリアな話し方をすることがもとめられるのでクリアな話し方とは、状況のみならず問題自体の『与件』をつきつけるということです。別の条件のもとでは見えなかったものが見えるようにすること。ニューカレドニア問題では、私たちはこんな説明を聞かされてきました。つまり、この領土はある時点で植民地あつかいを受け、その結果、先住民のカナカ族がみずからの領土内でマイノリティになってしまった。これが従来型の解説です。しかし、それが始まったのはいつか。それはどれくらいの速度で進行したのか、誰のせいでそうなったのか。右派はこうした問いを受けつけないでしょう。もしこれらの問いにじゅうぶんな根拠があるとしたら、与件を明確に示すことによって、右派が隠蔽しようとする問題をあらわにすることができるのです。なぜなら、いったん問題が提起されてしまうと、問題の排除は不可能になるし、右派としても従来とは異なる言説を語るしかなくなるからです。したがって左派の役割は、政権を担当しようとそうでなかろうと、とにかく右派がなんとしても隠蔽しようとするタイプの問題をあらわにするところにあるわけです。

 ただいかんせん、この点で左派には情報提供の能力が完全に欠けていると言わざるをえません。しかし左派にも無理からぬ事情がある。それは、フランスでは官僚集団と政府上層部が常に右派だったということです。だから、いくら善意にあふれ、フェアプレーの精神でのぞんだとしても、官僚や政府上層部は考え方を変えることも、みずからのあり方を変えることもできないのです。

 社会党には、情報を伝える人間はおろか、独自の情報を集め、独自の問題提起をおこなうための方法をつくりあげる人間すら欠けていた。社会党は並行回路や隣接回路をつくっておくべきだったのです。仲介者としての知識人が必要だったはずなのです。ところがこの路線でおこなわれたことは、いずれも友好なコンタクトにとどまり、釈然としないものばかりだった。私たちは、問題について最低限の現状報告すら受けていなかったのです。いろいろな分析から三つほど例をとってみましょう。ニューカレドニアの土地台帳は専門の雑誌には公表されていたかもしれませんが、それが一般の話題にのぼったことはない。教育問題にかんしていうなら、私立はカトリック系だという通念がそのまま流布している。私も私立の学校における非宗教系の比率を知ることができませんでした。別の例をあげましょう。多数の地方自治体を右派が奪還して以来、ありとあらゆる文化事業の予算が打ち切られてしまいました。そのなかには規模の大きいものも含まれていますが、むしろ小規模で、きわめて地方色の濃いものが多い。数が多く規模が小さいだけに、なおさら面白い事業があったはずなのです。ところがその詳細なリストを手に入れるすべがない。右派にとってこの種の問題は存在しないのです。できあいの、直接的で、すぐに服従してくれる仲介者をおさえているからです。しかし左派には、間接的で、自由な仲介者が必要です。そうした仲介者を可能にすることができれば、それだけで新しいスタイルが成り立つのです。共産党の手落ちで『旅の道連れ』という馬鹿げた名のもとに評判を落としたものを、左派は本当に必要としているのです。左派に必要なのは人びとにものを考えてもらうことだからです。


                    「仲介者」 G.ドゥルーズ『記号と事件』


記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫)/河出書房新社
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これは1985年にフランスの雑誌に載ったもののようですが、

「ニューカレドニア問題」の部分を「普天間問題」に読み替えてみれば、

そのまま、今の日本のことを言ってるように思えてきます。

震災後、その感はますます強くなっています。


注目すべきは、ドゥルーズが、右派と左派との違いを指摘するだけでなく、

その「仲介者」との接続の仕方をも対比させて考えていることでしょうか。

「直接的」で「すぐに服従してくれる」仲介者を求める右派に対し、

左派は、「並列」的で「自由な」仲介者をつくるべきだと、

ドゥルーズは説きます。

これは彼(と共著者のガタリ)が言う、

「リゾーム(根茎)」的な関係に他ならないでしょう。

「トゥリー(樹木)」的な右派に対する「リゾーム」的な左派という、

彼の哲学が、ここでも重要な基礎をなしていると思います。

当時のフランスは今の日本と似ていて、

理想を高く掲げたミッテラン社会党が何十年かぶりに政権を獲り、

死刑廃止など急進的な政策を次々と打ち出していきますが、

1年ほどで行き詰まりを見せ、

結局は「コアビタシオン(保革共存)」と呼ばれた保守勢力との連合を

已む無くされました。


フランソワ・ミッテラン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%B3


確かに理想・理念を掲げることは重要ですが、

財政面など、あくまで現実的な目算をしなければ、

「改革」も失敗に終わってしまうことの証左だと思いますし、

今の日本(の政治)が必要としてるのも、

ここでドゥルーズが言ってるような「仲介者としての知識人」、

「並行回路や隣接回路」となってくれるような

「自由な仲介者」ではないでしょうか。