えんじゅです。
友人あべたくも出展している、
『ヌードだらけの展覧会』を見てきました・・・
最初に書いときますが、
卑猥な展覧会ではないので変な期待はしないでくださいね(;^_^A
http://www.picnica.net/#exhibition
僕もお世話になってるピクニカのオーナーが主催されてる展覧会で、
放射線やら瓦礫やらで今年海に行けない人たちのために、
せめて気分だけでも夏を味わってもらおうということで企画された
ヌードビーチがテーマの展覧会です。
ピクニカの隣、art room Enomaに、
あべたくの作品をはじめ総勢19人の作家さんたちの
「ヌード」作品が並べられていて、圧巻でした(*^▽^*)
中でも印象に残ったのは
映画のワンシーンのような武田卓さんの『ジョーズガール』、
デパートでよく見るようなトルソー?のマネキンを描いた
金子玲子さんの『海岸線部屋』と
『渚にて』(これが一番お気に入りでした)、
画面全体がモスグリーンの美しい色調の
三浦弘恵さんの『海底』(これもよかった!)、
いわさきちひろ?のようなタッチで余白を大胆に使った
横山信人さんの『メガネ』、
ほとんど人物のあいまいなシルエットだけのような
後藤俊幸さんの一連の作品、
三人の裸の女性たちが蛇のように不気味に絡み合う
『蝶の骨』(すいません、作者メモるの忘れました・・・)、
そしてどこか「死」の匂いを感じさせる
八城知子さんの『disapper』。
ほかの作品も粒ぞろいのものばかりでしたが、
総じて感じたのは、
「今現在の日本において、身体とは何か?」
ということでしょうか(難しい話題ですいません(;^_^A)
おりしも今日は人体を初めとして全宇宙の物質を構成する
素粒子のひとつである「ヒッグス粒子」と見られる粒子が
発見されたというニュースが世界中を駆け巡りました。
http://mainichi.jp/select/news/20120705k0000m040145000c.html
また、先日の小児の脳死臓器移植や安楽死の問題とも関連して、
「身体は誰のものか?」と問い直すことも可能だと思いますが、
身体が誰に帰属するのか(公か私か?)ということは
大変重要な問題だと思いますし、晩年のフーコーなども、
「性の歴史」を通じてこうした問題と向き合っていたように思います
(『ドグラマグラ』の作者・夢野久作の父で、
戦前右翼の大物だった杉山茂丸は生前「死体国有論」を唱え
自らその遺体を献体するよう遺言し、
その骨格標本は今も東大医学部に残されてるそうです)。
70年代、学生運動の終結とともに
日本では日活ロマンポルノが流行った時期があったと聞きますが、
こうした性への関心の高まりも、
身体(自然性)への興味(回帰)と無縁ではないと僕などは思います。
まあ、しちめんどくさい理屈は抜きにしても、
十分夏気分を味わえたひと時でした(;´▽`A``
興味のある方は8日までですのでお早めに。