えんじゅです。
明番で例のごとく本屋に立ち寄り、見つけました。
第一線で活躍されてるフーコー研究者・重田園江さんの初新書
『ミシェル・フーコー――近代を裏から読む』(ちくま新書)。
- ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む (ちくま新書)/重田 園江
- ¥861
- Amazon.co.jp
早速買って、本屋に併設されてるド○ールで抹茶ラテ(L)飲みながら
読んでました(;´▽`A``
半分ほど読んだのですが、深いですね、内容が。
ミシェル・フーコーは20世紀後半のフランスを代表する思想家で、
僕もよく参考にするジル・ドゥルーズとは親友・同志の間柄でした。
フランスでは1968年5月に「5月革命」という出来事があって、
日本を含め世界中で渦巻いた学生運動のひとつだったのですが、
日本と違ったのはフランス(そして欧米各国)では
運動が大学内部だけにはとどまらず社会的な広がりを見せたことです。
- パリ五月革命 私論-転換点としての68年 (平凡社新書595)/西川 長夫
- ¥1,008
- Amazon.co.jp
そうした中でフーコーは「特定領域の知識人」として
社会参画することを意識し、
1971年に「監獄情報グループ(GIP)」という団体を立ち上げます。
ドゥルーズもここに参加してたらしいのですが、
この団体は監獄つまり刑務所の中でどのようなことが行われてるか、
受刑者やその家族がどんなニーズを抱えているかをアンケートし、
支援していくという団体だったようです。
フランスでは5月革命が起きたとき、学生たちに呼応して、
フランス全土の刑務所でも暴動が起こったそうです。
今でこそ受刑者の人権等配慮が行き届くようにはなりましたが、
当時の刑務所の環境は今よりずっと劣悪で
時には拷問(虐待)のようなことも行われていたといいます。
そうした彼らを支援する活動の中で、
フーコーは『監獄の誕生』についての思索を深め、
実際に書いたのだと考えられます。
この本はそうしたフーコーの主著『監獄の誕生――監視と処罰』を、
フーコー自身のほかの著書や講義記録、関連書籍、
それに『監獄~』執筆当時のフーコーの動向などと併せながら
読み解いていくといった趣向なのですが、
そもそもフーコーのこの『監獄の誕生』という本は、
一般に大きな誤解にさらされているということを、ドゥルーズも、
以前書いた 『フーコー』の中で書いていたと思います。
- フーコー (河出文庫)/ジル ドゥルーズ
- ¥1,050
- Amazon.co.jp
- 監獄の誕生―監視と処罰/ミシェル・フーコー
- ¥5,565
- Amazon.co.jp
僕は『監獄の誕生』そのものはまだ読んでないですが、
重田さん(そしてドゥルーズ)によると、
『監獄の誕生』は決して巷間言われているような
監獄の構造(「パノプティコン」といいます)についての本でも、
ましてや「規律(権力)」について解説した本でもないといいます。
ドゥルーズ流に言えばそこで問題になってるのはむしろ管理社会、
つまり規律権力の後に来るものとしての管理権力でしょう。
私たちは、監獄、病院、工場、学校、家庭など、
あらゆる監禁の環境に危機が蔓延した時代を生きている。
家族とはひとつの「内部」であり、これが学校や職業など、
他のあらゆる内部と同様、ひとつの危機に瀕しているのだ。
……中略……
改革の名のもとに問題となっているのは、死に瀕した諸制度に
管理の手をさしのべ、人びとに暇つぶしの仕事を与え、
目前にせまった新たな諸力がしっかりと根をおろすのを
待つことにすぎないのだ。こうして規律社会にとってかわろうと
しているのが管理社会にほかならないのである。「管理」とは、
新たな怪物を名ざすためにバロウズが提案した呼称であり、
フーコーが近い将来、私たちにのしかかってくると
考えていたのも、この「管理」なのだ。
- 記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫)/ジル ドゥルーズ
- ¥1,260
- Amazon.co.jp
東日本大震災があり、史上最悪の原発事故が起こり、
戦後日本社会の弱点が顕在化した現在、
フーコー=ドゥルーズのこうした鋭い洞察は、
今こそ読まれなくてはならないもののような気がしてなりません。
事実、重田さんがフーコーの使っていた重要な概念
「規律」を解説してる箇所を読むと、僕にはどうしても
高度経済成長期の日本社会がイメージされてしまいます。
故・植木等さんが『スーダラ節』で
♪サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ~
と揶揄して見せた、あの時代です。
3・11後の日本の課題はまさに管理社会から抜け出すことに
あるんじゃないでしょうか。
とまあ、小難しいことをつらつらと書いてきましたが、
この本は重田さんのユーモアが随所に利いた本にもなってます。
たとえば、こんな記述。
私自身この本に何度途方に暮れたか分からない。
置いてきぼりにされつづけというか、人を脱臼させておいて
一目散に逃げてゆく禿げ頭が遠くにちらちら見えるようで
腹立たしいというか、遊び心がありすぎるというか。…
実際、フーコーはこんな容貌をしてました。
僕はこの文章を読んだ瞬間、笑ってしまいました(;´▽`A``
ともあれ『ミシェル・フーコー』、読み終えたらまた感想書きます。