えんじゅです。

更新サボっててすいません汗


今日は東日本大震災から半年、そして、

2001年アメリカ同時多発テロから10年目にあたる日です。

少し前から関連書籍なども本屋に並ぶようになり、

またメディアでも大きく取り上げられるようになって来てましたが、

僕もこの頃はこのことを考えることが多かったです。


今週(先週?)号のニューズウィーク日本版も、

このことを大々的に取り上げてます。

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2011年 9/14号 [雑誌]/著者不明
¥450
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 何よりも3・11は9・11と同じく、歴史の境目として受け止められた。アメリカが9・11で変わったと思えたように、日本は未曾有の「国難」を前に「団結」し、「底力」を発揮して、「新しい社会」を作るときが来たという前向きなものが、緊迫した空気の中に感じられた。

 それは決して建前や偽善ではなく、本能的、反射的に生まれた尊いものにみえた。震災後の数ヶ月、日本社会にはそんな決意がみなぎっていた。そしてこの国は変わる――はずだった。


ニューズウィーク誌はこう書き付けながら、

そうした「決意」が日米とも国内では時間とともに薄れてゆき、

次第に震災・テロ前の「日常」に戻って行ったことを批判します。


実際、軽微とはいえ、被災したものの一人である僕ですら、

ニューズウィークが書くような当初の「高揚感」が薄れてる実感が

ありますし、

「放射能がうつった」と発言して辞任した大臣のように、

被災地から遠い人間にしてみれば、所詮他人事でしょう。


それは震災にしてもテロにしても、あるいは戦争にしても、

おそらく同じでしょう。

太宰治や三島由紀夫が戦争を経験しても毫も変わらぬ現実、

世間の小市民主義(「炉端の幸福」)に怒り続けたように、

殺人事件の被害者遺族の心情は、当事者にしかわからないのでしょう。


しかし、たとえ当事者ではなくとも、その心情を幾らか数%でも、

想像することは可能でしょう。

9・11から1年が経った頃、

僕はテロで生き残った方々のインタビュー集を買いましたが、

その本をいまだに読み進められずにいます。

マンハッタン、9月11日―生還者たちの証言/ディーン・E. マーフィー
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WTCビルの中に閉じ込められた彼らの痛み、恐怖、煙の臭い、

息苦しさなどを想うと、自分がそこに閉じ込められたようになり、

簡単には読み流せないからです。

同じことは村上春樹さんが書いたオウム事件被害者へのインタビュー集

『アンダーグラウンド』についても言えます。

アンダーグラウンド (講談社文庫)/村上 春樹
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上っ面の光景を頭の中でシミュレーションするだけが「想像」ではなく、

そうした被害者の体験、記憶を、想像力によって追体験することこそ、

本当の「想像」ではないでしょうか。

当事者意識の欠如」は、そうした想像力の最大限の行使によってしか

免れることはできないような気がします。


かつてイギリスの哲学者ヒュームは想像力こそが制度の隙間を補う

唯一のものだと考えていたといいます。

またオランダのユダヤ人哲学者スピノザは

人間の身体が何を為し得るかについて人間はまだ何も知らない

という意味のことを言っていたともいいます。

いずれもドゥルーズが敬慕して已まなかった哲学者であり、

そのドゥルーズに就いて哲学を学んだ宇野邦一さんが、

最良のドゥルーズ入門書の中に書き付けています。

ドゥルーズ 流動の哲学 (講談社選書メチエ)/宇野 邦一
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身体に秘められた力を最大限に使って、僕たちは僕たちの未来を

切り開かなければ生きてはいけないでしょう。