えんじゅです。

たった今、NHK教育で放送されてたETV特集

『おじいちゃんと鉄砲玉』を見ました。


http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0904.html


NHKディレクター久保田瞳さんの祖父・北島源六さんが亡くなり、

荼毘に付したお骨(頭部)の中から鉄砲玉が出てきたことから、

久保田さんがその鉄砲玉について調べ始めます。


戦争中は海軍航空隊の隊員としてマレー沖海戦や天一号作戦に参加。

生前はマレー沖海戦でイギリス艦プリンス・オブ・ウェールズ号に

魚雷を命中させた武勲を家族に語って聞かせていた北島さんでしたが、

彼がいつ、どこで被弾したのか、

また、どんな気持ちで戦争に参加していたのか、

祖母やかつての戦友を尋ね、

公開されている資料などを調べていくうちに

孫娘の久保田さんに見えてきたのは、

爆弾をわざと海の上に落として引き返してきたり

特攻できるのに後輩を守るために特攻せず帰還したりと、

想像していた「英雄」としての祖父の姿ではなく、

<死>が当たり前であり<死>を強制してくる時代状況の中で、

必死に<生>を模索し続けたひとりの下士官の姿でした。


当時イギリス領だったビルマ(現・ミャンマー)からインドへ向かった

インパール作戦や、神風特攻隊、人間魚雷・回天などなど、

当時の軍司令部のとった作戦はどれも無謀なものの連続でしたが、

そうした「兵学校出」のエリート将校たちが繰り出してくる

理不尽な要求に対する下士官たちの「反抗心」が、

北島さんをはじめとする一部の兵士たちにそのような行動をとらせたと、

番組に登場した北島さんの戦友の一人は語っていましたが、

僕もまさにそのとおりだったろうと思います。


死が運命付けられた社会の中で、

自分や部下や後輩を少しでも無駄死にさせまいとし続けた北島さん。

その努力も空しく、海へと散ってしまった幾多の戦友・後輩たち。

残された特攻隊最期の集合写真の裏には、

彼らへの手向けとして、軍歌「同期の桜」の一節が書かれてありました。

いろんな理由であえて歌詞は載せませんが、

検索してもらえばわかるとおり、北島さんの心中が察せられる、

悲痛な歌詞だと思います。


番組の最後、久保田さんが形見分けとして貰った、

北島さんが戦時中使っていたという懐中時計を修理に持って行き

時計の蓋を開けたとき、

若き日の久保田さんの祖母の写真が収められていたのが、

とても印象に残りました。