えんじゅです。
ドイツにベッヒャー夫妻(ベルント&ベラ)という写真家夫婦がいました。
http://www.artphoto-site.com/story91.html
ドイツ中の建築物、たとえば給水塔や冷却塔など、
同じように分類される建築物を、同じ高さ、同じ角度から撮り、
整然と並べた彼らの方法は「類型学(タイポロジー)と呼ばれますが、
僕は彼らの写真が非常に好きで、
去年、宮城県美術館で開催された『新しい美術の系譜』展で、
念願かなって彼らの写真を見ることができました。
http://www.pref.miyagi.jp/bijyutu/mmoa/ja/exhibition/20100805-s01-01.html
「類型学(タイポロジー)」というのは、
同じ種類の異なる外見のものの中からそれらに共通する特徴、
たとえば「人間」なら「人間」に共通する特徴を見つけるという、
科学の方法論で、
起源は古代ギリシアの哲学者プラトンにまで遡るといわれますが、
僕の敬愛するジル・ドゥルーズはその最初の主著『差異と反復』の中で、
このことを考えていたように思います。
- 差異と反復〈上〉 (河出文庫)/ジル ドゥルーズ
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- 差異と反復〈下〉 (河出文庫)/ジル ドゥルーズ
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この書物はよく、
「<差異>とは反復される差異であり、<反復>とは差異が反復されること」
という言葉で要約されますが、
一見ちんぷんかんぷんなこの言葉、よぉ~っく考えてみれば、
確かにそのとおりのような気がしてきます。
普通「反復」と言えば、「同じものが反復される」と思いますが、
実際は違うもの(差異)が反復されるのではないでしょうか。
たとえば「人間」といったときに、大体の人は
「手足があって、目鼻があって…」と考えるはずですが、
実際の人間を見れば、手足がない人もいれば目鼻のない人もいます。
…まぁそういう人は大体病院にいますが(苦笑)
もっと厳密に捉えれば、DNAに見られるように、
完全に同じ人間というのは、クローン人間でもない限り、
一人としていないとも言えます。
だからと言ってその人が「人間じゃない」とは誰にも言えないでしょう。
(まぁ「人でなし」という言葉はありますが;笑)
ドゥルーズはこの考え方をさらに広げて学説などの同異、
たとえば経済学の自由主義と新自由主義といったようなものにも
適用しようとしているように思いますが、
ベッヒャー夫妻の作品は、その考えをまさに体現しているように
僕には思えます。
この展覧会では他にも、
マルセル・デュシャンのL.H.O.O.Q.(『モナ・リザ』に髭をつけたもの)を
はじめとした作品や、
日本の世界的現代アーティスト草間弥生さんの作品、
そして最も楽しみにしていた森村泰昌さんのフェルメール作品を模した
セルフ・ポートレイト作品など、
すばらしい作品が勢ぞろいした展覧会でした
展示を見終わった後、美術館内の売店で作品カタログを見つけて、
正直あまり持ち合わせがなかったのですが、
迷わず購入してしまいました(^▽^;)
皆さんは心に残った展覧会ってありますか?