えんじゅです。
先日、北澤俊美防衛大臣が沖縄県の仲井真知事を訪問し、
名護市辺野古沖に計画中の普天間基地移設について、
滑走路をV字型にし、
同時に米軍側の垂直離着陸機オスプレイの配備計画があることも
伝えたようです。
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20110614rky00m040004000c.html
これに対して仲井真知事はあくまで県外移設を求める
従来の姿勢を崩さず、
会談は平行線に終わったようです。
辺野古沖は国の天然記念物ジュゴンの棲息地でもあり、
また配備が計画されているオスプレイは、開発段階での事故が
非常に多かったと言われています。
'04年に宜野湾市の沖縄国際大学(沖国大)で起きたヘリ墜落事故は
オスプレイではなく、しかも幸い民間の死傷者は出なかったとはいえ、
電話回線が切断されたり建物の一部が破損するなど、
大きな被害を出しましたが、
辺野古は宜野湾のような家屋が密集した地域でないからいいとでも、
政府、米軍は考えているのでしょうか。
震災(原発事故)後は特に、
あまり表立って報道されることはありませんが、この基地の問題も、
原発と同様、国家単位で考えなければいけない問題だと、
僕は思います。
青森県の三沢基地をはじめ、
普天間の部隊を数ヶ所に分散させるという話もあるようですが、
いずれにせよ、「そもそもなぜ米軍の駐留が必要なのか」という
そもそも論から始めなければ、事態はなしくずし的に進んでゆき、
毫も変わらぬ「現実」だけが残されてしまうような気がします。
原発の問題がそうですが、いったい人間というのは
「血」を見なければ変わらないものなのでしょうか?
あるいは「血」を見てさえも変わらないものなのでしょうか?
原因は様々にあるにせよ、古今東西、戦争がなくならないのは、
そういう「現実」があるからかもしれません。
けれども「平和を夢見る」(まさに「夢」です)こともまた、
人間の「現実」だと思うのです。
医学等に「予防」という概念がありますが、
今「政治」に必要なのは、予防的な観点でしょう。
外患(外圧)ばかりを「予防」して
「内憂」(騒音、事件など)を疎かにするなら、
「内」と「外」の区別をつける理由はどこにあるのでしょうか?
自分たちの生活を脅かすという意味では、
住民にとってはどちらも同じことでしょう。
悲しみはいらない やさしい歌だけでいい
あなたに降り注ぐすべてが正しいやさしいであれ。
「ジュゴンの見える丘」
先日、北澤俊美防衛大臣が沖縄県の仲井真知事を訪問し、
名護市辺野古沖に計画中の普天間基地移設について、
滑走路をV字型にし、
同時に米軍側の垂直離着陸機オスプレイの配備計画があることも
伝えたようです。
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20110614rky00m040004000c.html
これに対して仲井真知事はあくまで県外移設を求める
従来の姿勢を崩さず、
会談は平行線に終わったようです。
辺野古沖は国の天然記念物ジュゴンの棲息地でもあり、
また配備が計画されているオスプレイは、開発段階での事故が
非常に多かったと言われています。
'04年に宜野湾市の沖縄国際大学(沖国大)で起きたヘリ墜落事故は
オスプレイではなく、しかも幸い民間の死傷者は出なかったとはいえ、
電話回線が切断されたり建物の一部が破損するなど、
大きな被害を出しましたが、
辺野古は宜野湾のような家屋が密集した地域でないからいいとでも、
政府、米軍は考えているのでしょうか。
震災(原発事故)後は特に、
あまり表立って報道されることはありませんが、この基地の問題も、
原発と同様、国家単位で考えなければいけない問題だと、
僕は思います。
青森県の三沢基地をはじめ、
普天間の部隊を数ヶ所に分散させるという話もあるようですが、
いずれにせよ、「そもそもなぜ米軍の駐留が必要なのか」という
そもそも論から始めなければ、事態はなしくずし的に進んでゆき、
毫も変わらぬ「現実」だけが残されてしまうような気がします。
原発の問題がそうですが、いったい人間というのは
「血」を見なければ変わらないものなのでしょうか?
あるいは「血」を見てさえも変わらないものなのでしょうか?
原因は様々にあるにせよ、古今東西、戦争がなくならないのは、
そういう「現実」があるからかもしれません。
けれども「平和を夢見る」(まさに「夢」です)こともまた、
人間の「現実」だと思うのです。
医学等に「予防」という概念がありますが、
今「政治」に必要なのは、予防的な観点でしょう。
外患(外圧)ばかりを「予防」して
「内憂」(騒音、事件など)を疎かにするなら、
「内」と「外」の区別をつける理由はどこにあるのでしょうか?
自分たちの生活を脅かすという意味では、
住民にとってはどちらも同じことでしょう。
悲しみはいらない やさしい歌だけでいい
あなたに降り注ぐすべてが正しいやさしいであれ。
「ジュゴンの見える丘」